ドクター・キリコが違法な安楽死を行う死の医者となった理由とは?キリコの原点にある軍医としての戦争体験
前回書いたように、手塚治虫の『ブラック・ジャック』における「二人の黒い医者」の回の話では、
高額の報酬を対価に神業の手術によって人間の命を救う医者であるブラック・ジャックと、同じように高額の報酬を求めながら、人々に違法な安楽死を施して回る死の医者であるドクター・キリコという正反対の性格をもった二人の医者の対決の場面が描かれていくことになります。
そして、この回の話では、それと同時に、ドクター・キリコが違法な安楽死へと手を染め、むしろ、それを自らの使命として自認するようになった経緯についても語られていくことになるのです。
ドクター・キリコが安楽死を行う死の医者となった原点にある軍医の経験
「二人の黒い医者」(『ブラック・ジャック』秋田書店、新書版第9巻、第79話、52頁~)では、自分の母親がドクター・キリコによって安楽死させられようとするのをすんでのところで止めた二人の兄妹は、
キリコの商売道具である人の命を奪うために用いられる安楽死を施すための死の装置を目にして、
「おじさんは、どうしてこんなむごいものを考えつくんだ」と彼のことを強く問い詰めることになります。
しかし、
こうした兄妹からの問いかけに対して、ドクター・キリコは、悪びれることもなく、自分が違法な安楽死を施す死の医者となった理由について語り出すことになるのです。
ドクター・キリコは、かつて自分は軍医として戦争に従軍していたことがあり、そのときに、体が半分吹き飛ばされるような重傷を負い、もう回復の見込みはないことが分かっていながらもすぐに死ぬこともできないような兵士たちを大勢見てきたと話し始めます。
そして、
そうした耐え難い苦痛に苛まれる兵士たちを自らが持つ医療技術を使って穏やかに死なせるようにしてやると、
彼の手によって安楽死を施された兵士たちは、みな口をそろえて「おかげでらくになります」と喜び、誰もかれもが心から彼に感謝して死んでいったと言うのです。
つまり、
ドクター・キリコが安楽死を行う死の医者となった原点には、
彼が軍医を務めていた時代に、人間が人間を傷つけ殺し合う残酷な戦争の最中、戦いに傷つき死を待つだけとなった兵士たちを少しでも早く楽にしてあげるために毒薬を注射しては死なせて回っていたという体験があり、
それ以来、不治の病や重い障害による苦痛ある生からの解放を求め、死を願う人々に対して、彼らの心からの真摯な望みをかなえてあげるために、自分の医療技術を用いて患者を安楽死によって死なせることが自らの使命となったという経緯が明かされることになるのです。
・・・
そして、ドクター・キリコは、この回の話の最後の場面で、
「これからもたのまれればいくらでも死なせて歩くぜ」と苦しみに苛まれる患者を本人自身の望み通りに死なせてやる安楽死こそが医者としての自らの使命であることを改めて宣言したうえで、
ブラック・ジャックに対して、
「生きものは死ぬ時には自然に死ぬもんだ。それが人間だけがむりに生きさせようとする。どっちが正しいかねブラック・ジャック」という言葉を語りかけることになります。
つまり、ここでドクター・キリコは、
自然に死んでいく定めにあるはずの患者を自然の摂理をも超えるような破格の手段によって無理やりに生きさせようとするブラック・ジャックの神業的な手術は、人間の命本来の自然なあり方に逆らう行為であり、
自分が行っている患者が自然に死んでいくのを助ける安楽死の方が、自然の摂理にかなった正しい行為であると主張していると考えられることになるのです。
・・・
しかし、少し考えてみると、
ブラック・ジャックが施す神業的な手術が、自然の摂理に逆らって人為的に命を救う行為であるとするならば、
ドクター・キリコが施す安楽死も、それが人為的な手段によってもたらされる死である以上、自然の摂理に逆らう行為であることにあまり変わりはないとも考えられることになります。
つまり、
患者を自らの手によって安楽死させるという人為的な死をもたらすことを自らの生業として認めながら、
そうした死のあり方が、生きものとしての自然な死でもあるかのように語るキリコの言葉は、一見すると矛盾しているようにも聞こえることになるのですが、
詳しくは次回改めて考察するように、
こうしたドクター・キリコの安楽死に対する考え方の背景には、彼自身の従軍体験に根ざした人間の生き死にの捉え方に対する独特の思想があると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:安楽死が人間の自然な死のあり方を取り戻す行為として正当化される論理とは?ドクター・キリコが死の医者となった理由②
前回記事:「二人の黒い医者」におけるドクター・キリコとの対決と運命に抗っても人間の命を救い続けるブラック・ジャックの悲壮な決意
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