塩の柱となったロトの妻と冥界へと連れ戻されるギリシア神話のエウリュディケー、ソドム滅亡の具体的な顛末③
前回書いたように、
神から遣わされた二人の天使を守るために、ロトが自分の娘の命をも捧げようとしたことによって、彼らが善良で敬虔な人間であることを認めた神と天使たちは、
ソドムの町が神の手によって焼き滅ぼされる前に、ロトとその妻、そして二人の娘の四人家族を町の外へと避難させることを決めることになります。
そして、ロトの家を客人として訪れていた二人の天使の手によって、ロトの一家は町外れまで連れ出され、その後、ソドムの町に硫黄の火の手が迫る前に山の麓の町へと逃げのびていくことになるのですが、
その山の麓の町へと逃げのびるまでの旅路を急ぐ中で、ロトの一家は、彼らの善良さと神に忠実に従う敬虔さとを試される最後の試練に見舞われることになります。
神がロトの家族に対して与えた最後の試練とその理由とは?
ロトの一家が町から逃れ出てからソドムの町が滅ぼされるまでの顛末は、旧約聖書の「創世記」の中では、以下のように描かれています。
彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。
「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」…
太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアル(山の麓にあった小さな町)に着いた。
主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱となった。
こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。
(『旧約聖書』、「創世記」、19章17節~29節)
聖書のこの箇所で述べられている通り、
神は、ロトの一家が本当に心から神を信じ、その命に従う善良な人間であるのかを試すために、彼らに対して、「命がけで逃れよ。しかし、決して後ろを振り返ってはならない」という最後の試練を与えることになります。
しかしここで、そもそも、
神は、ロトの一家をソドムの町から逃れされると決めた時点で、すでに一度は彼らが善良な人間であると認めたとも考えられることになるわけですが、
だとすると、なぜ神は、彼らが町の外から逃れ出た後で、改めてロトの一家を再び試すような働きかけを行ったのか?ということが少し疑問にも思えてくることになります。
そして、その疑問に答えるための一つの理由としては、
確かに、一家を代表する存在であるロトが神とその御使いである天使たちを守るためには自分の娘をも捧げようとした行為によって、
ロト自身は何よりも第一に神を尊び、いかなる神の命令にも忠実に従う善良で敬虔な人間であることがすでに証明されていると考えられることになるのですが、
残りのロトの家族たちについては、ソドムの町の郊外へと逃れた時点では、ロトという善良な夫、あるいは善良な父を持つ人間であるということが示されているだけであって、
ロトの妻と二人の娘たちについては、本当に彼女たちが神に従う敬虔で善良な人間であるのかはいまだ十分には証明されていないということが挙げられることになります。
つまり、
ロトの一家がソドムの町の外まで逃れることを許されたのは、家長であるロトが自らの善良さと敬虔さを神の前に示すことができたからであって、
この時点では、残りの家族たちについては、あくまでロトに付き従っていた限りにおいて、当座のところソドムの町と共に滅びる運命を猶予されている状態にあると考えられるので、
ロトの家族全員が神によって救われる価値のある本当に善良で敬虔な人間であることを証明するためには、
彼らには、いま一度、神によって課せられることになるもう一つの試練を乗り越える必要があったと考えられることになるのです。
塩の柱となったロトの妻と冥界へと連れ戻されるギリシア神話のエウリュディケー
そして、
すでに自らの善良さと敬虔さを十分に示していたロト自身はもちろんのこと、彼の二人の娘たちもこの最後の試練を乗り越え、
ソドムの町から逃れていく先にあった大きな山の麓にあるツォアルの町へと無事たどり着き、悪徳の町と滅びを共にする呪われた運命から完全に救い出されることになるのですが、
彼ら四人のうち、ロトの妻だけは、神が本当に自分たちが山の麓に逃れるまで町を焼くのを待ってくれているのかがどうしても気にかかり、本当は自分たちのすぐ後ろまで火の手が迫っているのではないか?という不安に耐えきれずに、
神によって課せられた試練である「決して後ろを振り返ってはならない」という禁を破り、山の麓まで逃れていく途中で、思わず後ろを振り返ってしまうことになります。
そして、
この神との約束を破った罪によって、彼女だけは、ソドムと滅びを共にする呪われた運命へと再び引き戻され、
ソドムの町が焼き尽くされていく硫黄の炎の光を見ると同時に、彼女自身の体も蒸発して乾いた塩の柱へとその姿を変えられることになってしまったのです。
・・・
ちなみに、
神から命じられた「決して後ろを振り返ってはなならない」という命令を破ってしまったことによって不幸な結末を迎えることになってしまった神話的な物語の代表的な事例としては、
今回取り上げた旧約聖書におけるロトの妻の物語の他に、ギリシア神話におけるエウリュディケーの物語も挙げられることになります。
オルぺウスとエウリュディケーの物語については、詳しくは
「オルペウス教の教義と由来、天球の音楽」でも書きましたが、
最愛の妻エウリュディケーを蛇の毒によって失ったオルペウスは、彼女を生き返らせるために、自ら冥界へと赴き、
長い旅路の末に、地上にたどり着くまで「決して後ろを振り返ってはならない」という約束を守るという条件で、ついに冥界の王ハデスの手から、自分の妻であるエウリュディケーを返してもらうことに成功することになります。
しかし、
地上へと帰っていく旅の途中で、妻が本当に自分の後ろに付いて来てくれているのかがどうしても気にかかり、本当は誰も付いて来てはいないのではないか?という不安に耐えきれなくなったオルペウスは、
冥界から抜け出すまであとわずかというところで、ついに、我慢し切れずに後ろを振り返ってしまい、
それと同時に、彼の最愛の妻であったエウリュディケーは、再び冥界へと引き戻されてしまうことになるのです。
・・・
次回記事:アブラハムによるソドムの町のための執り成し①50人から10人への人数の絞り込みと神の能力と善性に対する問いかけ
前回記事:ソドム滅亡の具体的な顛末②ロトが身代わりに自分の娘を差し出した理由とは?旧約聖書の世界観における善悪の最大の基準
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