鏡開きの意味は?なぜ包丁で切っちゃダメなの?いつおこなうの?
お正月に供えられた鏡もちは、やがて神棚から下され、
雑煮やお汁粉にして食べることになります。
これを、鏡開きといいますが、なぜそういうのでしょうか?
また、鏡もちは、包丁で切ってはいけない、といわれますが、
それはなぜでしょうか?
今回は、鏡開きについて調べてみました。
鏡開きにはどんな意味があるの?
お正月は、年神様を各家庭にお迎えする行事だといわれています。
年神様をお出迎えするために、門松やしめ飾りなどの飾りつけをするんですね。
年神様は、私たちに生命力を与えてくださる神様であり、
各家々の祖霊(家を守ってくれる祖先の霊)でもある、といわれています。
その年神様が、毎年お正月に、
各家庭の玄関先に飾られた門松を目印に降りてこられ、
お正月の間、滞在されます。
ん?じゃあ、門松を飾らないと、年神様が迷子になっちゃうのかな?
その年神様の魂が、お正月の間、宿っておられるところが、鏡もちなのです。
お正月が終わると、年神様は帰られます。
年神様が宿っておられた鏡もちは、年神様の生命力に満ちあふれています。
したがって、その鏡もちを、私たちが食べるということは、
私たちが年神様の生命力をいただくことになるわけです。
それが、鏡開きという行事なのです。
さあ、その鏡もちのいただき方ですが、
雑煮にしてもお汁粉にしてもいいんですが、
一つ、約束ごとがあって、包丁は使ってはいけないんですね。
では、それはなぜでしょうか?
なぜ鏡開きに包丁を使ってはいけないの?
鏡開きは、商家では蔵開きといわれていました。
武家では、刃柄(はつか)を祝う、といって、
鎧(よろい)や兜(かぶと)などの具足の前に鏡もちを供え(これを具足もちといいます)、
お正月が終わると、鏡もちを雑煮やお汁粉にして、
主君と家来たちがそろって食べ、主従の結束と親密さを深めた、といわれています。
鏡開きに包丁を使ってはいけない、とされたのは、武家社会の風習が一般化したからです。
江戸時代に、武家では、
刃物でもちを切るのは切腹を連想させるのでよくないとされ、
包丁は使わずに、手や木づちで割ることになったといいます。
また、「切る」も「割る」も縁起が悪いので、使うことを避けて、
忌み言葉である「割る」の言い換えとして、
末広がりを意味する「開く」を使用することになったのです。
※ 忌み言葉とは、不吉なことを意味するとして嫌い、使うことを避ける言葉。
入学試験が近い受験生に対して、「滑る」とか「落ちる」という言葉は使わない、というあの気遣いですね。
武家の鏡開きの儀式(具足式といいます)を受け継いで、
いまでも、柔道場や剣道場などでは、新年の寒げいこの後に、
鏡開きの儀式をおこない、雑煮やお汁粉を食べることがありますよね。
鏡開きはいつおこなうの?
もともとは、鏡開きは1月20日におこなわれていたようです。
松の内(門松やしめ飾りなどのお正月の飾りを飾っておく期間)は、
昔は1月15日までだったので、
鏡開きはその後の1月20日におこなわれていました。
ところが、江戸時代になって、
徳川家光の忌日(きにち・きじつ)が慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、
1月20日を忌日として避け、1月11日に変更されたといわれます。
1月11日とされたのは、商家がおこなっていた蔵開きが1月11日だったからです。
まとめ
年神様がお正月の間宿っておられた鏡もちを食べることによって、
私たちが年神様の生命力をいただく、というのが鏡開きという行事です。
刃物でもちを切るのは切腹を連想させるのでよくないという武家社会の風習から、
鏡開きには包丁は使わずに、手や木づちで割ることになった、といわれています。
また、「切る」も「割る」も縁起が悪いので、使うことを避けて、
「開く」という言葉を使用することになりました。
もともとは、鏡開きは1月20日におこなわれていたようですが、
江戸時代に、徳川家光の忌日だからと避けて、1月11日に変更されました。