テミストクレスによるアテナイの大艦隊の建造の資金源となったラウレイオン銀山とクセルクセス1世によるギリシア遠征の計画
前回書いたように、紀元前490年に行われたマラトンの戦いで自軍の倍を超える2万にもおよぶペルシアの大軍を破ることによってアテナイの英雄として讃えられることになったミルティアデスは、
その後、アテナイ市民たちの反対を押し切ってパロス島への遠征を強行したうえに、この遠征に失敗したことによって反逆の罪に問われ、そのままアテナイの獄中において非業の死を遂げることになります。
そして、こうしたミルティアデスがマラトンの勝利による栄華から転落へと至ることになった後のアテナイにおいては、祖国を繁栄と勝利へと導く新たな指導者としてテミストクレスが登場することになります。
ダレイオス1世の死とクセルクセス1世によるギリシア遠征の計画
ところで、
こうしたマラトンの戦いにおけるペルシア軍の大敗の知らせを聞いたアケメネス朝ペルシアの王であったダレイオス1世は、10年前のイオニアの反乱の時から続く因縁からアテナイ人への復讐の念をさらに強くしていくことになるのですが、
その後、ダレイオス1世、はエジプトで起きた反乱を平定するために軍を進めようとした時に急死してしまうことになり、ペルシアの王位は息子であったクセルクセスへと継承されることになります。
そして、
紀元前486年に、アケメネス朝ペルシアの王となったクセルクセス1世は、エジプトの反乱を平定したのち、第一回ギリシア遠征の司令官でもあった将軍マルドニオスからの勧めもあって、
亡き父ダレイオス1世が果たすことができなかったギリシア遠征の野望を自らの手によって成し遂げるために、さらなるギリシア遠征へと向けた大規模な計画と準備を進めていくことになるのです。
テミストクレスの台頭とピレウスにおける軍港建設
そして、その頃、
マラトンの戦いによる勝利の立役者であったミルティアデスが失脚した後のアテナイにおいては、
すでにアテナイの指導者の立場にあたるアルコンと呼ばれる執政官の地位についていたテミストクレスがその政治的な手腕を発揮することによって国内での影響力を強めていくことになります。
テミストクレスは、マラトンの戦いが行われる以前からペルシア海軍の脅威に対抗するために、アテナイの南西約8kmの地点に位置するアテナイの外港にあたる港湾都市であったピレウスの軍港建設に着手していたのですが、
その後、アテナイにおいても、東方の彼方のペルシア本国において、新たにペルシアの王となったクセルクセス1世がさらなるギリシア遠征のための大規模な準備計画を進めているという噂が伝わると、
そうした国家の存亡に関わる不穏な情勢の変化をいち早く察知することになったテミストクレスは、軍港の整備と海軍増強にさらに力を入れていくことが必要であるという思いをさらに強くしていくことになるのです。
ラウレイオン銀山を資金源としたアテナイの大規模な軍艦建造計画
そして、ちょうどその頃、
アテナイの領内においては、国有の銀山であったラウレイオン銀山において新たな鉱脈が発見されることになり、それまでの通例に従って、国家の予算に必要な分を除いた残りの銀については、アテナイ市民に平等に分配しようという話になるのですが、
テミストクレスは、こうしたラウレイオン銀山において新たに得られた銀を軍資金とすることによって、一気にアテナイの海軍を増強するという大規模な軍艦建造計画を提案することになります。
しかしこの時、アテナイの市民たちは、
マラトンの戦いの時の国家存亡の危機を、喉元過ぎれば熱さを忘れるといった体ですでに忘れつつあり、東方の彼方にあるペルシア帝国の脅威をあまり真剣に受け止めていなかったため、
テミストクレスは、一計を案じて、アテナイにとってより身近な敵であった隣国のアイギナに対して圧倒的な海軍力の差を見せつけることによってその煩わしさを打ち払うよう呼び掛けることによって市民たちを説得し、
こうしたラウレイオン銀山で新たに得られた銀鉱を資金源としたアテナイにおける大規模な軍艦建造計画を成し遂げることに成功することになります。
そして、
こうしたテミストクレスの大規模な軍艦建造計画によって、200隻もの三段櫂船と呼ばれる軍艦からなる大艦隊を備えることによって、
ギリシア世界における最大の海軍大国となったアテナイは、アケメネス朝ペルシアによるさらなるギリシア遠征に対抗することができるだけの最低限の軍事力をつけていくことになっていったと考えられることになるのです。