イオニアの反乱におけるサルディスの炎上とミレトスの陥落  

前回書いたように、紀元前499にはじまるイオニアの反乱を主導してアケメネス朝ペルシアに反旗を翻すことになったミレトスの僭主であったアリスタゴラスは、その後すぐにギリシア本国への援軍の要請を行うことになり、

こうしたアリスタゴラスからの救援要請に対して、スパルタはその要請を断ったものの、アテナイエレトリアといったイオニア人との関係の深いエーゲ海沿岸の都市国家たちは援軍を派遣することを決断することになり、

アテナイからは20隻エレトリアからは5隻の軍艦がイオニア地方のギリシア植民市の救援へと向けてギリシア本土からペルシア帝国が支配するアナトリアの地へと向けて出港していくことになります。

スポンサーリンク

イオニアの反乱におけるギリシア軍の進軍とサルディスの炎上

イオニアの反乱におけるギリシア軍の進軍ルートとサルディスの炎上

そして、

こうしたアテナイエレトリアといったギリシア本土の都市国家からの加勢もあって、イオニアの反乱の勢いは一挙に盛り上がっていくことになり、

紀元前498に、アテナイとエレトリアから出港した25隻の軍艦によって構成されるギリシア軍は、

その後、現在のトルコに位置するアナトリア半島西部の古代都市であったエフェソスに上陸したのち、この地でイオニアの反乱軍と合流することになります。

そして、その後、

こうしたミレトスを中心とするイオニアのギリシア人植民市の市民たちとアテナイエレトリアからの援軍によって構成される反乱軍の軍勢は、

山岳地帯を越えてアケメネス朝ペルシアの勢力圏の深くにまで侵入していき、かつてのリュディア王国の都であったサルディスにまで攻め上ると、

ペルシア帝国にとっても王都スサに発する王の道の終着地となった重要な都市の一つであったこの都市の市街地を占拠して、この地を戦火によって焼き払ってしまうことになるのです。

スポンサーリンク

エフェソスでの大敗とアテナイ人たちのギリシア本国への帰還

イオニアから東へと遠く離れたペルシア帝国の王都スサにおいて、イオニアの反乱サルディス炎上の知らせを聞いたペルシアの王であったダレイオス1は、すぐにペルシア本国から反乱軍を征討するための軍団を派遣することになり、

ペルシア軍による反撃を恐れたギリシア人たちは、サルディスの町を焼き払ったのち、いったん態勢を整えるために本拠地であるエフェソスへと撤退することになります。

しかし、

復讐の怒りに燃えるペルシア帝国の軍勢は、ギリシア人たちが思っていたよりも早く戦場へと到着することになり、

ペルシアの騎兵部隊による激しい追撃を受けることになったギリシアの軍勢は総崩れとなって大敗を喫してしまうことになります。

そして、

エレトリアの将軍であったエウアルキデスを含む多くの武将と兵下たちの命を失うことになったアテナイ人エレトリア人から成る支援部隊は、そのまま船に乗って逃げ帰るようにしてギリシア本国へと帰還することになり、

その後、こうしたアテナイエレトリアといったギリシア本国都市国家たちは、強大な軍事力を誇るペルシア軍に恐れをなして、イオニアの反乱に対する一切の支援を打ち切ってしまうことになるのです。

スポンサーリンク

ミレトスの陥落とトラキアにおけるアリスタゴラスの戦死

そして、その後も、

今さら後に引くことはできなくなっていたイオニアのギリシア人植民市の市民たちは、引き続きペルシア帝国への反乱を続けていくことになるのですが、

ダレイオス1世が反乱軍の征討のために派遣したペルシア軍の艦隊がミレトスの近くにまで迫ると、ミレトスの沖合に位置するラデ島付近で行われたラデ沖の海戦において反乱軍側が大敗することによってイオニアの反乱大勢が決することになり、

紀元前494ミレトスが陥落することによって、およそ6年におよんだと考えられるイオニアの反乱はついにその終結を迎えることになります。

そして、こうしたミレトス攻略戦のさなか、

反乱軍の主導者であったアリスタゴラスはギリシアの北方に位置するトラキアへと逃亡したのち、この地で再起を図ることになるのですが、

現在のブルガリアとギリシアの国境地帯を流れるストリモン川の付近で新たな植民市を建設していた際に、侵略に対抗するトラキア人との戦いにおいて殺害されてしまうことになります。

そして、その後、

アケメネス朝ペルシアの重要都市であったサルディスを焼き払ったギリシア人たちに対して強い怒りと復讐心を抱いていたダレイオス1は、

反乱の中心地となったギリシア人植民市であったミレトスを見せしめとして徹底的に破壊していくことになり、

ミレトスにいたギリシア人のうち、男はすべて殺されて女と子供は奴隷として王都スサへと連行されることによって、ミレトスからミレトス人は一人もいなくなってしまったとも語り伝えられています。

そして、その後、

ペルシアの王であるダレイオス1の復讐と野望の矛先は、イオニアの反乱を助けたアテナイエレトリアを中心とするギリシア本国の都市国家へと向けられていくことになるのです。

・・・

次回記事:ルシア戦争は侵略戦争だったのか?ペルシア人の視点に立ったアテナイ人への正当な復讐を果たす正義の戦いとしての位置づけ

前回記事:ミレトスの僭主アリスタゴラスの援軍要請へのアテナイとスパルタの対応の違いとその背景にあるイオニアとアテナイの関係

古代ギリシア史のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ