クレイステネスの改革と10部族制によるアテナイの民主政の基盤の形成:血縁関係と地縁関係に基づく二つの部族制度の違い

前回書いたように、暴君ヒッピアスを追放することによって、ペイシストラトスの代から続く僭主政(せんしゅせい)から解放されたアテナイにおいては、

その後、スパルタ王クレオメネス1世の支援を受けた寡頭派を代表するイサゴラスと、民主派を代表するクレイステネスとの争いが続いたのち、

最終的に、アテナイ市民たちの支持を広く集めることになったクレイステネスアルコンと呼ばれる執政官へと任命されることによって僭主政崩壊後のアテナイにおける政治的混乱に終止符が打たれることになります。

そしてその後、アルコンの地位へとついたクレイステネスは、クレイステネスの改革と呼ばれる一連の政治制度と社会制度の改革を実行していくことによって、アテナイの民主政の礎を築いていくことになります。

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クレイステネスの改革の概要

クレイステネスの改革においては、これまでのアテナイにおける血縁関係に基づく部族制度の解体をはかった新たな地域的な部族制度にあたる10部族制の創設や、

デーモスと呼ばれる行政区画の設定、それらの新たな社会制度を踏まえた500人評議会の設置やストラテゴスと呼ばれる将軍職の新設などといった制度改革が行われていくことになったほか、

アテナイにおいて軍事力などを用いた非合法な手段によって政権を掌握する僭主が再び現れることを防止するために、

陶器の破片に僭主となるおそれのある人物の名を記して投票したうえで一定数以上名前を書かれた人物を10年間国外へと追放するという陶片追放(オストラキスモス)と呼ばれる秘密投票による追放制度なども設けられていくことになります。

そして、

こうしたクレイステネスの改革と呼ばれるアテナイの民主政の基盤を形成していくことになったと考えられる制度改革において、

そうした一連の改革事業の根幹となった社会制度の改革こそが10部族制と呼ばれる地域的な枠組みに基づく新たな部族制度の制定であったと考えられることになるのです。

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血縁関係に基づく4部族制とギリシア神話におけるアテナイの4つの部族

古代ギリシアを代表する都市国家の一つであるアテナイは、もともとは血縁関係に基づく4つの部族によって構成される氏族社会によって成り立っていたと考えられていて、

ギリシア神話においては、こうしたアテナイにおける4つの部族は、都市国家としてのアテナイを築いたイオニア人の始祖であるとされるイオーンを父とする

アルガデイスアイギコレイスゲレオンテスホプレテスという名の4人の息子たちを始祖とする部族であったと伝えられています。

そしてその後のアテナイにおいては、

ソロンの改革によって、すべてのアテナイ市民が財産収入の多さに基づいて4つの等級へと区分されていくことにより財産政治が導入された後も、

それとは別に、こうした血縁関係に基づく4部族制という氏族社会の枠組みそのものは残り続けていくことになり、

こうした血縁関係に基づく4部族制の枠組みは、アテナイにおける有力貴族の権力基盤としても機能していくことになっていったと考えられることになるのです。

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地縁関係に基づく10部族制の具体的な仕組みと有力貴族の権力基盤の解体

そして、クレイステネスは、

こうした旧来の血縁関係に基づく4部族制に対して、地縁関係に基づく10部族制と呼ばれる新たな部族制度を導入することになり、

こうした10部族制と呼ばれる地域的な部族制度においては、

まずは、アテナイが位置するアッティカ半島が中心部にあたるアテナイ市内とそれ以外の内陸部海岸部という3つの領域へと分けられたうえで、それぞれの領域はさらに10の地域へと分割されていくことになります。

そして、

そうしたアテナイ市内・内陸部・海岸部という3つの領域からそれぞれ1つずつの地域が選び出されて機械的に組み合わされていくことによって、

こうした10部族制と呼ばれる地域的な部族の枠組みが新たにつくり出されていくことになっていったと考えられることになります。

そして、10部族制の導入後のアテナイにおいて、

クレイステネス改革において制定された10部族制の枠組みによって定められた新たな地域的な部族所属のあり方がそのまま子孫へと世襲されていくことによって、

それまでの4部族制における血縁関係に基づく有力貴族の権力基盤の解体が進めていくことになっていったと考えられることになるのです。

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アテナイの民主政の基盤となるその他の社会制度の改革

また、

こうしたクレイステネスの改革における10部族制の導入において新たに作られることになった地域的な区画は、

デーモスと呼ばれるとして位置づけられていくことによって、その後のアテナイにおける基本的な行政区画の単位として機能していくことになります。

そして、

こうして新たに制定されることになった地域的な部族の枠組みにあたる10部族からは、毎年それぞれの部族から1名ずつ、合わせて10名ストラテゴスと呼ばれる将軍職につく人物が選ばれることになり、

アテナイにおけるストラテゴスは、10部族制におけるそれぞれの部族の軍団を指揮する軍事指揮官であると同時に政治的指導者との役目も担う民主政時代のアテナイにおける最重要官職として位置づけられていくことになります。

また、新たに設置されることになった500人評議会においても、その人員は10部族制におけるそれぞれの部族から50人ずつの評議員が選ばれることによって構成されていくことになります。

以上のように、

こうしたクレイステネスの改革において新たに定められることになったデーモスと呼ばれる行政区画の設定や、ストラテゴスと呼ばれる将軍職の新設、500人評議会の設置などといったアテナイの民主政の基盤となる制度改革の大部分は、

アテナイにおける血縁関係に基づく氏族社会の解体と有力貴族の権力基盤の解体を目指して新たに作られた地域的な部族制度にあたる10部族制を基盤とすることによって形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。

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次回記事:陶片追放(オストラキスモス)とは何か?古代ギリシア語におけるオストラコンの意味とアテナイでの実際の制度運用の歴史

前回記事:アルクメオンの血の穢れとイサゴラスの台頭をめぐるクレイステネスのアテナイからの追放と寡頭派の粛清後のアルコンへの就任

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