エーゲ文明を代表する四つの文明の位置関係と具体的な特徴の違いのまとめ
前回までの一連の記事では、エーゲ文明を代表するクレタ文明・ミケーネ文明・トロイア文明という三つの文明に、これらの文明よりもさらに古い時期に栄えていたと考えられるキクラデス文明を加えた四つの古代ギリシア文明について詳しく考察してきました。
そこで今回の記事では、こうしたエーゲ文明を代表する四つの文明の位置関係とそれぞれの文明における具体的な特徴の違いについて改めてまとめていく形で書いていきたいと思います。
紀元前3000年~紀元前2000年頃に栄えたキクラデス文明の具体的な特徴
そうすると、まず、
エーゲ海を中心とする古代ギリシア世界において最初に栄えていくことになったのは、紀元前3000年~紀元前2000年頃に最盛期を迎えることになるキクラデス文明であったと考えられることになります。
エーゲ海の中央部に位置する島々であるキクラデス諸島を中心に栄えていくことなったキクラデス文明では、
パリアン大理石と呼ばれる真っ白な大理石によってつくられた抽象的な彫刻が数多く製作されるなど高度な芸術文化が発達していくことになったほか、銅細工などの金属加工技術もある程度発展していたと考えられています。
そしてその後、紀元前2000年頃になると、こうしたキクラデス文明と呼ばれるエーゲ海の古代文明は、エーゲ海のさらに南において興隆していくことになるクレタ文明に吸収されていく形で、徐々に文明としての独自性を失っていくことになるのです。
紀元前2600年~紀元前1200年頃に栄えたトロイア文明の具体的な特徴
そして、エーゲ海周辺の古代ギリシア世界においてその次に栄えていくことになったのは、
紀元前2600年~紀元前1200年頃に最盛期を迎えることになるトロイア文明であったと考えられることになります。
現在のトルコが位置するアナトリア北西部のエーゲ海沿岸に築かれた古代都市トロイアを中心に栄えていくことになったトロイア文明は、
黒海とエーゲ海を結ぶダーダネルス海峡を中心とする海上交易を通じて大きく発展していくことになり、
エーゲ海の島々やギリシア本土とも交流を持つと同時に、アナトリア半島において興隆した古代帝国にあたるヒッタイト帝国などのオリエントの文化からの影響も受けることによって、強大な王権に基づく東方的な専制政治による都市国家の統治が行われていくことになります。
そしてその後、紀元前1200年頃になると、こうしたトロイア文明と呼ばれる古代文明は、ミケーネ文明を築いたギリシア人の一派であるアカイア人とトロイア人との戦いであるトロイア戦争に敗北したことなどにより滅亡してしまうことになったと語り伝えられているのです。
紀元前2000年~紀元前1400年頃に栄えたクレタ文明の具体的な特徴
そして、文明の萌芽そのものは早いものの、本格的な文明の興隆としてはトロイア文明の後に続いて栄えていくことになったのは、
紀元前2000年~紀元前1400年頃に最盛期を迎えることになるクレタ文明あるいはミノア文明と呼ばれる文明であったと考えられることになります。
エーゲ海の南部に位置する地中海最大の島であるクレタ島を中心に栄えていくことになったクレタ文明では、
地中海交易などを通じて大きく発展していくことによって、フレスコ画や漆器や陶磁器などの工芸品の生産が行われていたほか、線文字Aやクレタ聖刻文字と呼ばれる文字の使用も行われていくことになります。
また、ギリシア神話におけるクレタの伝説の王であるミノス王が牛頭人身の怪物であるミノタウロスを閉じ込めるために築かせた巨大な迷宮として語り伝えられているクノッソス宮殿などの大規模な建造物なども建設されていくことになったほか、
統治体制としてはトロイア文明の場合と同様に、強大な王権に基づく東方的な専制政治が行われていたと考えられることになります。
そしてその後、紀元前1400年頃になると、こうしたクレタ文明と呼ばれる古代の地中海文明は、ギリシアのペロポネソス半島を中心に興隆したミケーネ文明の担い手となったギリシア人の一派であるアカイア人たちによって征服されることによって滅亡してしまうことになるのです。
紀元前1600年~紀元前1200年頃に栄えたミケーネ文明の具体的な特徴
そして、こうしたトロイア文明とクレタ文明の後に続いて古代ギリシア世界の全域において大きく栄えていくことになったのは、
紀元前1600年~紀元前1200年頃に最盛期を迎えることになるミケーネ文明と呼ばれる文明であったと考えられることになります。
ギリシア人の一派であるアカイア人によって築かれ、ギリシア本土の南に位置するペロポネソス半島を中心に栄えていくことになったミケーネ文明では、
ペロポネソス半島を中心にミケーネやティリンスといった数多くの都市国家が建設されていくことになり、エーゲ海における先進文明であったミノア文明との海上貿易を通じて工芸技術や芸術などの面でも大きく発展していくことになります。
具体的には、ミケーネの町を守る城塞の門であったとされる獅子の門や、かつてはギリシア神話の英雄アガメムノンのものと考えられていた葬儀用の仮面である黄金のマスクなどが作られたほか、
線文字Bと呼ばれる文字が新たに開発されることによって、古代ギリシア世界全体へと文字文化が定着していくことになる一方で、
統治体制としては、ミケーネ文明が広がる地域全体を統一的に支配するような強大な王権が生まれることはなく、基本的には、それぞれの都市国家が独立した小国の分立状態が続いていくことになります。
そしてその後、紀元前1200年頃になると、こうしたミケーネ文明と呼ばれる古代ギリシアの文明は、海の民による襲撃や、アカイア人とは別のギリシア人の一派であるドーリア人の侵入を相次いで受けることによって滅亡の時を迎えてしまうことになるのです。
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前回記事:クレタ文明(ミノア文明)とトロイア文明はどちらの方が早く成立したのか?文明の最盛期と考古学的区分に基づく二つの解釈
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