古代ギリシア最強のパンクラチオンの闘士とは?死してなおオリンピックの優勝者としての栄冠を手にした闘士アリキオン
前回の記事で書いたように、古代ギリシアのオリンピアの祭典を中心とする古代のオリンピックにおいては、
古代ギリシア語ではパンクラチオンと呼ばれることになる古代の総合格闘技にあたる競技が行われていたと考えられることになるのですが、
それでは、こうした古代オリンピックの正式種目の一つとしても位置づけられていた古代ギリシアのパンクラチオンの選手のなかでも、特に秀でた戦績や印象的な逸話によって名を残した人物、
すなわち、古代ギリシアにおける最強のパンクラチオンの闘士としては、具体的にはどのような格闘家の名が挙げられることになると考えられることになるのでしょうか?
アレキサンダー大王が率いるマケドニア軍の歴戦の兵士と古代ギリシアの闘士ディオクシプスとの決闘
そうすると、まず、
こうした古代オリンピックにおけるパンクラチオン競技の歴代の優勝者のなかでも、印象的な逸話によってその名がギリシアの全土へと広く知れ渡っていた考えられる古代ギリシアにおける著名な格闘家たちの名前としては、
アテナイのディオクシプスとフィガリアのアリキオンという二人の人物の名が挙げられることになると考えられることになります。
そして、このうち、
前者のアテナイのディオクシプス(Dioxippus of Athens)は、現在のギリシアの首都にあたるアテネの古名にあたるアテナイ出身の格闘家であり、
紀元前336年に開催された古代オリンピックの第111回大会の優勝者となった人物としてオリンピック史にその名を残しているのですが、
彼は、ギリシア諸都市を平定した後にペルシアへと遠征してエジプトからギリシアそしてオリエントにおよぶ世界帝国を建設したマケドニア王にあたるアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の遠征軍に従軍した古代ギリシアの格闘家としても知られていて、
ディオクシプスは、アレクサンドロス3世が主催する宴会の席に招かれた際に、かねてから大王に目をかけられていた彼のことを妬んでいたマケドニア軍の将校の一人であったコラゴスという名の戦士に決闘を挑まることになります。
幾多の敵兵の命を奪ってきた歴戦の戦士である自分に対して、オリンピックの優勝者であるとは言え、実際には人を殺したことすらないただの格闘家であるディオクシプスが命のやりとりをする実際の戦いにおいて勝てるはずがないと侮るコラゴスは、
青銅の盾と全身を覆う完全な鎧、そして、長槍を持って腰には剣をさし、ピルムと呼ばれる投擲用の槍まで装備した軍の兵士としてのフル装備で戦いの場へと挑むことになるのですが、
それに対して、
パンクラチオンの使い手であるディオクシプスは、普段の競技の場に臨むときと同じように、一糸もまとわない全裸の状態で戦いの場へと臨み、相手の槍の一撃を防ぐために使う一本のこん棒だけを右手に取って闘いの場に立つことになります。
そして、
開戦と同時に放たれた投げ槍をかわしたディオクシプスは、そのまま相手のふところへと飛び込んでいくと、コラゴスが持つ槍をこん棒で打ち砕いて接近戦へと持ち込み、
鎧の装甲をものともせずに、相手の胴体を強く締め上げるようにして体を大きく上へと持ち上げてから、そのまま地面へと叩き落して、コラガスのことを組み敷いて完全に武装解除させてしまうことによって、
パンクラチオンの技術を身につけた古代ギリシアの闘士たちが、人間同士の一対一の闘いにおいては、武装した熟練の兵士に対しても後れをとらない卓越した戦闘技術と勇敢な心を持つことを示すことになるのです。
死してなおオリンピックの優勝者としての栄冠を手にしたフィガリアの闘士アリキオン
そして、それに対して、
後者のフィガリアのアリキオン(Arrhichion of Phigalia)は、ギリシア南部のペロポネソス半島の中央部にあたるアルカディア地方の南西部に位置する古代都市であったフィガリア出身の格闘家であり、
紀元前572年と568年と564年に開催された古代オリンピックの第52~54回大会までの3大会連続で優勝者となった人物としてオリンピック史にその名を残しているのですが、
彼は、彼が優勝者となった最後の大会である紀元前564年に開催された古代オリンピックの第54回大会において、競技の最中に命を落としてしまうことになります。
オリンピックのパンクラチオン競技の決勝戦の試合の最中、対戦相手に背後から組みつかれ、胴体を足で締め上げられて、首に巻きつけられた腕によって窒息状態へと陥ってしまったアリキオンは、
相手の足を振りほどこうとして、自らが持てる最後の力を振り絞って関節技をかけ返すことによって、足首の関節を打ち砕き、
足の甲の骨が折れた痛みに耐え兼ねた対戦相手は、そのまま彼の首から腕を放すと、そのまま手を大きく上へと挙げて降参の意志を審判へと示すことになります。
しかし、この時すでに、
すべての力を出し尽くしてしまったアリキオンの息はすでに止まっていて、彼はそのまま息を吹き返すことなく命を落としてしまうことになるのですが、
その栄誉を称えて、彼の遺体には、オリンピックの優勝者の証としてのオリーブの花で飾られた勝利の栄冠がかぶせられ、
彼が見せた壮絶な死闘と、命を懸けた勝利への強い意志は、3回連続の優勝というオリンピックの優勝記録そのもの以上に、古代ギリシアの人々の心へと深く刻まれていくことになっていったと考えられることになるのです。
・・・
次回記事:古代オリンピックの三つの格闘競技の具体的な特徴の違いとは?パンクラチオンとボクシングとレスリングの最初の優勝者の名前
前回記事:古代オリンピックにおけるパンクラチオンの具体的な競技内容とは?古代ギリシア語におけるパンクラチオンの意味と勝敗の規定
「オリンピック」のカテゴリーへ