オリンピックの公式パンフレットの記述に基づくオリンピックの五色と五大陸の対応関係とは?
前々回 と 前回 の記事で書いてきたように、オリンピックのシンボルにおける青・黄・黒・緑・赤の五つの輪と、ヨーロッパ・アジア・アメリカ・アフリカ・オセアニアという五大陸との対応関係については、
近代オリンピックの発祥の地にあたるヨーロッパを中心とする世界地図における五大陸の配置を基準とした地理的な区分のあり方に基づくと、
青=アメリカ、黄=アフリカ、黒=ヨーロッパ、緑=オセアニア、赤=アジアという対応関係を導き出していくことができると考えられることになるのに対して、
肌の色の違いや目の色の違いについての固定観念的な理解を基準とした人種的な区分のあり方に基づくと、
青=ヨーロッパ、黄=アジア、黒=アフリカ、緑=オセアニア、赤=アメリカといった対応関係が結ばれていくことになるというように、
様々な観点から互いに位置づけが大きく異なる対応関係のあり方が提示されていくことになると考えられることになります。
それでは、
こうしたオリンピックの五色と五大陸との対応関係のあり方については、オリンピックを主催する側にあたる委員会や開催国からの公式的な見解としては、歴史的には具体的にどのような見解が示されてきたと考えられることになるのでしょうか?
近代オリンピックの創立から現在に至るまでのオリンピックの五色と五大陸の対応関係についての公式的な見解の歴史的な変遷
そうすると、まず、
オリンピックのシンボルの由来について書いた以前の記事(リ:オリンピックのシンボルの由来とは?)のなかで詳しく考察してきたように、
こうした五輪のデザインの考案者にして近代オリンピックの創立者としても位置づけられているクーベルタン自身の言葉によれば、
五つの輪を彩っている青・黄・黒・緑・赤の五色は、あくまでもオリンピックに参加するすべての国々の国旗の色を表しているだけであって、
こうした五つの輪における五つの色そのものが一つ一つのどれか特定の大陸のことを象徴しているわけではないという考え方が示されていると考えられることになります。
しかし、その一方で、
そうしたクーベルタンの意図がより明確な形でオリンピックの関連組織の間で深く共有されていくことになる前の第二次世界大戦が終結してからまだ間もない1950年ごろまでのオリンピック関連の資料においては、
しばしば、
オリンピックのパンフレットやハンドブックなどといった公的な資料においても、そうしたオリンピックの五色と五大陸とを一対一対応で関連づけていくような記述が散見されていくことになるのです。
1950年以前のオリンピックの公式パンフレットの記述における青・黄・黒・緑・赤のオリンピックの五色と五大陸との対応関係
そして、具体的には、
そうした1950年以前のオリンピックにおける公式パンフレットの記述などにおいては、多くの場合、オリンピックの五色と五大陸との対応関係については、
ヨーロッパは青、アジアは黄、アフリカは黒、オセアニアは緑、アメリカは赤といった形での記述がなされていくことになるのですが、
これは、ちょうど、
前回の記事で考察した肌の色の違いや目の色の違いなどといった固定観念的な理解のあり方を基準とした人種的な区分のあり方に基づく
青=ヨーロッパ、黄=アジア、黒=アフリカ、緑=オセアニア、赤=アメリカという対応関係の結び方とぴったり一致していると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、逆に言えば、
こうした1950年以前のオリンピックの公的資料などにおいても散見されることになるオリンピックの五色と五大陸との対応関係の結び方においては、
肌の色の違いや目の色の違いなどといった一歩間違えれば人種的な偏見や差別へとつながってしまいかねないような固定観念的な理解に基づいて両者の対応関係が結ばれていたとも考えられることになることから、
第二次世界大戦後から現在の時代へと至るまでの間に、そうした人種的な偏見や差別がより大きな問題として取り上げられていくようになり、そうした偏見や差別についての根絶が目指されていくようになっていくという歴史の流れのなかで、
こうしたオリンピックの五色と五大陸とを一対一対応で関連づけていくような記述は、オリンピック委員会が発信するような公式的な見解のあり方からは完全に抹消されていくことになっていったとも解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:クーベルタンの言葉に基づくオリンピックの五色と五大陸との対応関係の解釈とは?アジアを象徴する色が赤となる理由
前回記事:人種的な区分に基づくオリンピックの五色と五大陸の対応関係②肌の色と目の色の違いに基づく関連づけと固定観念と偏見の問題
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