古代ローマの一年の暦に10月までしかなかった理由とは?農耕社会を基盤とする古代ローマの社会構造との関係と軍神マルス
このシリーズの前回までの一連の記事で書いてきたように、
紀元前153年の改暦以前の時代における古代ローマの暦においては、一年は現在の1月ではなく現在の3月にあたる月からはじまることになっていて、
さらにそれ以前の紀元前8世紀ごろの最初期の古代ローマの暦においては、一年がはじまりを迎える月を1月とした場合、1月から10月までの10個の月しかなかったと考えられることになるのですが、
このように、
かつての古代ローマの一年の暦において10月までしかなかった理由としては、当時のローマにおけるどのような社会構造のうちに、その具体的な理由を見いだしていくことができると考えられることになるのでしょうか?
最初期の古代ローマの暦における10個の月と軍神マルス
そうすると、まず、
こうした紀元前8世紀ごろの最初期の古代ローマの暦においては、一年の暦は、
マルティウス(Martius)
アプリリス(Aprilis)
マイウス(Maius)
ユーニウス(Junius)
クィンティリス(Quintilis)
セクスティリス(Sextilis)
セプテンベル(September)
オクトーベル(October)
ノウェンベル(November)
デケンベル(December)
という全部で10個の月から構成されていて、
こうしたかつての古代ローマの暦における一年は、
ローマを象徴する神でもあった軍神マルスの名に由来する月にあたるマルティウス(Martius)と呼ばれる現在の3月にあたる月からはじまり、デケンベル(December)と呼ばれる現在の12月にあたる月に終われるとされていて、
それぞれの月には、現代の暦とほぼ同様に、30日か31日のいずれかの日数が割り当てられていました。
したがって、
こうしたかつての古代ローマの一年の暦においては、
正確には、現代の暦における1月と2月にあたる30日+31日であわせて61日ほどの日数に対して月の名前が割り当てられていない暦の上での空白期間が生じてしまっていたと考えられることになるのです。
最初期の古代ローマの暦において一年の終わりに61日ほどの空白期間が生じていた具体的な理由
それでは、このように、
かつての古代ローマの一年の暦において、現在の暦においては1月と2月にあたる月に割り当てられていくことになる61日ほどの空白期間が生じてしまっているのには、具体的にどのような理由があると考えられることになるのか?
ということについてですが、それについては、
そもそも、
こうしたかつての古代ローマの暦において、一年のはじまりの月として位置づけられたマルティウスの月の名の由来ともなっている軍神マルスは、古代ローマ神話においては軍事と共に農耕を司る神としても位置づけられているように、
もともと、こうした古代ローマの社会が農業を基盤とする農耕社会として成立していったという国家の土台となる社会構造のあり方のうちにその大本の理由を求めていくことができると考えられることになります。
つまり、こうした紀元前8世紀ごろの最初期の古代ローマの暦においては、
草花が芽吹き、田畑を耕して種を蒔いていく農耕が始まる季節である現在の3月にあたる月から一年がはじまっていき、農作物の収穫の時期を過ぎた現在の12月にあたる月で暦が終わってしまうことになり、
そうした収穫が終わった後の農閑期にあたる現在の1月と2月にたる時期は、国家の基盤となる農業の面においては特に重要な行事はなかったため、あえて特定の月を定めることはせずに、
そうした特定の月の内に位置づけられていない61日ほどの長期におよぶ暦の上での空白期間の終わりの適切な時期に、天体の運行や気候の変化などに基づいて新年の開始を宣言することによって、新たな一年がはじまることになっていったと考えられることになります。
そして、そういった意味では、
かつての古代ローマの暦においては、こうした10番目の月までしかない暦の最後に付け加えられた61日ほどの長期におよぶ暦の上での空白期間は、
古代のまだあまり正確ではない暦のあり方において、実際の季節との間で徐々に生じていってしまうことになるズレを修正するためのある種の調整期間としても機能していたと考えられることになるのです。
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次回記事:ラテン語の1月から12月までの月の名前と発音と具体的な由来のまとめ
前回記事:英語で12月を意味するDecemberの由来とは?ラテン語において第10の月を意味する言葉の語源とコンモドゥス帝とデカスロン
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