教会暦の一日が前日の日没からはじまる理由とは?旧約聖書の創世記の天地創造における神によって定められた一日の期間
カトリック教会やプロテスタントあるいは東方正教会などといったキリスト教の教会においてキリストの降誕や復活などを祝う祝祭日や祈りの期間を定めるために用いられている宗教的な暦のあり方は、教会暦あるいは典礼暦といった言葉で呼び表されることになりますが、
こうした教会暦や典礼暦と呼ばれるキリスト教における神聖な暦においては、正式な規定においては、一日のはじまりは前日の日没からはじまり、当日の夜明けを経て、その日の日没に一日の終わりを迎えると規定されることになります。
それでは、このように、
教会暦において一日の期間が前日の日没からはじまるとされている具体的な理由としては、
キリスト教の聖典である聖書のなかのどのような記述のうちに、そうした教会暦における一日の期間の規定の根拠となる言葉を見いだしていくことができると考えられることになるのでしょうか?
旧約聖書の創世記の天地創造の場面において語られる一日のはじまり
そうすると、このように、
教会暦において一日のはじまりが前日の日没からはじまるとされていくことになった具体的な理由としては、
キリスト教とユダヤ教の聖典にあたる旧約聖書の最初の書である創世記の天地創造の場面における以下のような言葉のうち、その直接的な根拠となる言葉を見いだしていくことができると考えられることになります。
・・・
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
(旧約聖書「創世記」1章1節~5節)
・・・
つまり、
こうした旧約聖書の創世記における記述に基づくと、神によって定められた一日の期間とは、
「夕べ」すなわち日没の時にはじまったのち、「朝」すなわち夜明けの時を迎え、そうした夜と昼、そして、闇と光の時を経て、次の日の日没と共に一日が終わることになると考えられることになるのです。
ユダヤ暦における日没を一日のはじまりとする暦のあり方とキリスト教の教会暦における暦のあり方への継承
そして、基本的には、こうした旧約聖書における記述に基づいて、
まずは、ユダヤ教において用いられているユダヤ暦において、一日の期間が前日の日没からはじまり当日の日没に終わるという暦のあり方が形づくられていったと考えられることになり、
その後に成立したキリスト教においても、こうしたユダヤ暦における日没を一日のはじまりとする暦のあり方が継承されていく形で、現在の教会暦における一日の期間の区切りのあり方が定められていくことになっていったと考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
キリスト教における正式な暦にあたる教会暦や典礼暦と呼ばれる暦のあり方においては、こうした旧約聖書の創世記において記されている神による天地創造の物語のなかで語られている
「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」
という記述に基づいて、
言わば、神によって定められた神聖なる一日のことを意味する期間として、一日の期間が前日の日没からはじまるという暦のあり方が用いられるようになっていったと考えられることになるのです。
・・・
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