「主はわが牧者なりわれ乏しきことあらじ」詩篇23篇の祈りの言葉と羊飼いとしての主とイエス・キリストの関係
前回の記事で書いたように、旧約聖書の詩篇23篇における聖書の記述においては、
そこで語られている一人一人の人間の魂を正しき道へと導いていく「主」の存在が、十字架の死を乗り越えて永遠の命を得ることになったイエス・キリストの存在と重ね合わせられていくことによって、そこでは、
一人一人の人間が自分自身の人生と死に向かい合うときの一つの道しるべとなる祈りの言葉が書き記されているとも考えられることになるのですが、
こうした詩篇23篇における祈りの言葉は、
「主はわが牧者なり」という言葉で始まる格調高い文語調の表現や、日本語の聖書における新共同訳と口語訳の表現においては、それぞれ以下のような言葉として記述されていくことになります。
格調高い文語調の表現で記された詩篇23篇の祈りの言葉
まず、こうした旧約聖書の詩篇23篇における祈りの言葉は、キリスト教の教会などにおいて聖書の朗読や讃美歌の詠唱の際などに読み上げられる交読文として用いられることが多い格調高い文語的な表現においては、以下のような言葉として語られていくことになります。
・・・
主はわが牧者(ぼくしゃ)なり。われ乏(とも)しきことあらじ。
主はわれをみどりの野にふさせ、いこいの汀(みぎわ)にともないたもう。
主はわが魂を活かし、御名(みな)のゆえをもて、我を正しき道にみちびきたもう。
たといわれ死のかげの谷をあゆむとも、わざわいをおそれじ。
なんじ我と共にいませばなり。なんじの笞(しもと)、なんじの杖、われをなぐさむ。
汝(なんじ)、わが仇(あだ)のまえに、わがために宴(えん)をもうけ、
わが頭(こうべ)に油を注ぎたもう。わが酒杯(さかずき)はあふるるなり。
わが世にあらんかぎりは、かならず恵みと憐れみと我にそいきたらん。
われはとこしえに主の宮(みや)に住まん。
(旧約聖書「詩篇」23篇、讃美歌に付記されている交読文において用いられることが多い格調高い文語調の訳)
新共同訳と口語訳で記された詩篇23篇の祈りの言葉
そして、それに対して、
こうした旧約聖書の詩篇23篇における祈りの言葉は、日本語訳の聖書において用いられる新共同訳と口語訳における訳文においては、それぞれ以下のような言葉として書き記されていくことになります。
・・・
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
(旧約聖書「詩篇」23篇、新共同訳)
・・・
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは、必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(旧約聖書「詩篇」23篇、口語訳)
詩篇23篇における「羊飼いとしての主」とイエス・キリストとの関係
そして、
こうした「主はわが牧者」あるいは「主は羊飼い」といった言葉からはじまる詩篇23篇における祈りの言葉は、
例えば、
新約聖書のヨハネによる福音書の記述などにおいてイエスが語った言葉として、
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(新約聖書「ヨハネによる福音書」10章11節)
といった言葉が書き記されているように、
キリスト教においては、
こうした詩篇23篇において書き記されている牧者や羊飼いとしての「主」の存在がこの世に生きるすべての人々の罪をその身に背負って十字架につけられることによって世の人々のために自らの命を捨てることになった
イエス・キリストその人の存在と重ね合わせられていくことになっていったと考えられることになるのです。
・・・
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