新約聖書のイエスの十字架の死と旧約聖書の預言の言葉を結ぶ永遠の円環と過去と現在と未来の人々にとっての十字架の死の意味
前回の記事で書いたように、イエスの十字架の死に際して叫んだとされている「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉は、
十字架のうえで自分のことを見るすべての人々に嘲笑われ、神にさえ見放されたように見える姿で十字架の死を迎えるイエスの深い苦悩を示す言葉であると同時に、
旧約聖書の詩篇22篇において記されたダビデの預言の言葉が予め定められた神の永遠なる計画の通りに成就したことを示すという神の栄光の確信を告げ知らせることばでもあったと考えられることになるのですが、
こうした新約聖書におけるイエスの十字架の死についての記述と、旧約聖書の詩篇22篇におけるダビデの賛歌の内に示された預言の言葉との関係については、もう少し別の観点からも解釈を進めていくことができると考えられることになります。
新約聖書のイエスの十字架の死と旧約聖書の預言の言葉を結ぶ永遠の円環
詳しくは前回の記事のなかで考察してきたように、
旧約聖書の詩篇22篇における記述は、
「わたしの神よ、わたしの神よ。なぜわたしをお見捨てになるのか。」という最初の言葉によってはじまるのに対して、
新約聖書の福音書において記されているイエスの十字架の死の場面は、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というイエスが残した最後の言葉によって終幕を迎えていくことになります。
そして、
こうした新約聖書におけるイエスの最後の言葉から、旧約聖書における詩編の最初の言葉がはじまっていくという聖書における時系列が逆転したともいえる構造からは、
過去と現在と未来といった時間の流れを超えて定められている神の永遠なる計画の存在を読み解いていくことができると考えられることになります。
つまり、
こうした新約聖書におけるイエスの十字架の死と、旧約聖書の詩篇において記された預言の言葉との関係においては、
単に、旧約聖書の時代において記されていた預言の言葉が、新約聖書の時代においてイエスの十字架の死として実現されたということが示されているだけではなく、
それとは逆に、
神の永遠なる計画のうちで予め定められていたイエスの十字架の死のために、そうした未来におけるイエスの十字架の死が原因となって、
それよりも数百年もの前の旧約聖書の時代へとさかのぼって、こうした旧約聖書の詩篇におけるダビデの預言の言葉がその時に適って書き記されるように定められることになったとも解釈していくことできると考えられるということです。
そして、そういった意味では、
こうした新約聖書において記されたイエスの十字架の死と、旧約聖書の詩篇におけるダビデの預言の言葉という二つの存在は、
そうした神の永遠なる計画の内において、時間の流れを超えて互いが互いの原因として結びつき合った永遠の円環を結んでいるとも考えられることになるのです。
過去と現在と未来のそれぞれの時代を生きる人々にとってのイエスの十字架の死の意味
そして、
こうした新約聖書におけるイエスの十字架の死と、その姿が神の永遠なる計画を通して予め預言されていた旧約聖書の詩篇22篇におけるダビデの賛歌との永遠の円環によって結ばれた関係は、
過去から現在そして未来へと進んでいく時間の流れのなかで現実の世界の内に生きている人間たちにとっては、
イエスが生まれる前に生きていた旧約聖書の時代の人々にとっては、謎めいた詩篇の言葉だけが神秘的で神聖な祈りの言葉としてのみ解き明かされ、
イエスと同じ時を生きていて、その十字架の死を目撃した人々にとっては、その苦しみと悩みに満ちた贖罪の死としての側面のみが解き明かされ、
イエスの十字架の死の後の時代を生きていて、そうした旧約聖書と新約聖書の両方に記されている二つの出来事を同じように離れた視点から見つめることができる人々にとっては、
こうしたイエスの十字架の死と旧約聖書の預言の言葉におけるすべての意味が解き明かされていくことになるというように、
すべての出来事が予め神の御心に適う形で組み立てられていたとも解釈していくことができるとも考えられることになります。
そして、そういった意味では、
イエスの十字架の死から何百年そして何千年もの時を経た時代を生きる未来の人々にとっても、
そうした新約聖書におけるイエスの十字架の死と、旧約聖書において記された預言の言葉がいつまでも色あせることがなく、
その死と預言の言葉との意味が、時を越えて、常に新しく、人々の心をゆり動かすように、
そうした旧約聖書と新約聖書の両方において語られているすべての聖書の言葉がその一点において集約されて、究極の形において表現されているのがイエスの十字架の死の瞬間であったとも考えられることになるのです。
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次回記事:詩篇22篇から23篇へと続くイエスの十字架の死と一人一人の人間が自分自身の死と向き合うための道しるべとなる祈りの言葉
前回記事:エリ・エリ・レマ・サバクタニというイエスの最期の言葉の本当の意味とは?旧約聖書の預言の言葉と成就と神の栄光の確信
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