知性とは何か?①ギリシア語とラテン語におけるヌースとインテレクトゥスの具体的な意味
知性とは、一言でいうと、物事について考え、理解し、判断するといった人間における知的能力のことを意味する概念として定義することができる言葉であると考えられることになるのですが、
こうした日本語において知性と呼ばれている概念は、もともとは、
ギリシア語におけるnous(ヌース)、あるいは、ラテン語におけるintellectus(インテレクトゥス)といった単語の訳語にあたる概念として用いられている言葉であると考えられることになります。
それでは、こうした日本語における知性という言葉がその訳語となっているギリシア語やラテン語におけるヌースやインテレクトゥスといった言葉は、
その言葉自体の意味としては、具体的にどのような意味を持つ言葉であると考えられることになるのでしょうか?
ギリシア語におけるヌース(知性)とロゴス(理性)との関係
まず、
こうした知性という言葉の原語にあたるヌースとインテレクトゥスという二つの言葉のうち、前者にあたるギリシア語におけるヌース(nous)という言葉は、
知性の他にも理性や精神あるいは魂といった様々な概念のことを表す多様な意味を持つ言葉であると考えられることになります。
そして、
こうしたヌース(nous)という言葉と同じような意味を持つギリシア語の言葉としては、
理性や論理あるいは原理や理法といった意味を表すロゴス(logos)という言葉の存在も挙げられることになるのですが、
ソクラテス以前の古代ギリシア哲学においては、
こうしたギリシア語におけるヌース(nous)やロゴス(logos)といった言葉は、
どちらも人間の認識や世界の存在のあり方を秩序づけている万物の存在の大本にある根源的な原理のあり方のことを意味する概念として用いられていると考えられることになるのです。
認識作用と認識能力の両方を意味するラテン語におけるインテレクトゥス
そして、それに対して、
ラテン語におけるインテレクトゥス(intellectus)という言葉は、その言葉自体の語源においては、
「知覚する」あるいは「認知する」といった意味を表すintellego(インテレゴー)というラテン語の動詞の名詞形にあたる言葉ということになります。
そして、
こうしたラテン語におけるインテレゴー(intellego)やインテレクトゥス(intellectus)といった言葉が語源となって、
「知性」や「知能」といった意味を表す英語におけるintellect(インテレクト)や、
フランス語におけるintellect(アンテレクト)、ドイツ語におけるIntelleck(インテレクト)といった言葉が成立していることからも分かる通り、
こうしたラテン語におけるインテレクトゥスという言葉は、
知覚や認知、あるいは、理解や把握といった人間の心における認識作用のあり方全般のことを幅広く意味する概念として捉えられることになると同時に、
それは、
知力や理解力あるいは洞察力といった人間の精神の内にある認識能力の存在そのもののあり方のことを意味する概念としても捉えることができると考えられることになるのです。
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以上のように、
知性と呼ばれる概念は、
こうしたギリシア語におけるnous(ヌース)やラテン語におけるintellectus(インテレクトゥス)といったその概念自体の語源となる言葉における大本の意味に基づくと、
知覚や認知あるいは理解力や洞察力といった人間の精神の様々な段階における認識作用や認識能力のあり方のことを意味する概念であると同時に、
それは、ギリシア語におけるlogos(ロゴス)という言葉と同様に、宇宙の存在自体を秩序づけている万物の根源的な原理としても捉えられていくことになるというように、
極めて多様な意味の広がりを持った概念として捉えられることになると考えられることになります。
そして、詳しくはまた次回以降の記事で改めて考察していくように、
こうした人間の精神における多様な認識作用や認識能力のあり方あるいは、宇宙の存在そのもののあり方を秩序づけている万物の根源的な原理のことを意味する知性と呼ばれる概念の具体的な定義のあり方は、
その後のピタゴラスやアナクサゴラスあるいはアリストテレスやカントといった様々な哲学者が登場する一連の哲学史の流れの中で、その具体的な意味のあり方が大きく変化していくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:知性とは何か?②ピタゴラスの哲学思想における数学的な原理としてのヌースの存在の位置づけ
前回記事:理性とは何か?⑦古代ギリシア哲学からカントの認識論哲学へと至る哲学史における理性の概念の定義の変遷のあり方のまとめ
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