形相因の質料因に対する優越性、数的な意味と存在論的な意味における両者の差異と天地創造の光としての形相と闇としての質料

前回の記事で詳しく考察してきたように、アリストテレス哲学においては、

四原因説における質料因・形相因・起動因・目的因という四つの原因のあり方のうち、対象となる存在に対して特定の事物としての本質を与える形相因の存在こそが、

事物における生成変化のあり方の最も根源的な原因のあり方として位置づけられることになると考えられることになるのですが、

こうしたアリストテレス哲学における原因概念ついての捉え方からは、より直接的な意味においては、形相因の質料因に対する優越性を主張する思想を見いだしていくことができると考えられることになります。

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数的な意味と存在論的な意味における形相因の質料因に対する優越性

前回の記事で詳しく考察したように、

事物の生成変化の土台となる素材や材料としての原因のあり方を意味する質料因に対しては、そうした質料としての存在に対して特定の事物としての本質となる規定を与える形相因の存在が対立する原因概念として位置づけられていくことになるのですが、

そのうちの後者である形相因には、起動因目的因という残りの二つの原因概念も結びつけられていくことになるというように、

こうした形相因と質料因という二つの原因概念の対立関係においては、「形相因」「起動因」「目的因」対「質料因」という三対一の関係が成立していると考えられることになります。

また、

以前に「アリストテレスの『形而上学』における実体の定義」でも詳しく取り上げたように、

アリストテレスの『形而上学』における存在論の議論においては、あらゆる事物の存在の根拠となっている真なる実在としての実体の存在は、質料ではなく形相の側の原理のうちに求められることになるといった考え方も提示されていくことになります。

前述したように、

素材となる質料に対して特定の事物としての本質を与える形相の存在は事物に対して規定や限定を与える側の原理として位置づけられるのに対して、質料の存在は規定や限定を受ける側の原理として位置づけられることになりますが、

そうした限定を受ける側の原理である質料は、形相によって本質の規定を与えられる前の状態においては、いまだ何ものでもない存在としてその存在自体が不確定な状態にあると考えられ、

『形而上学』におけるアリストテレスの議論においては、

そうした何ものでもない不確定な存在としての純粋な意味における質料の存在は、それ自体で独立したものとして存在する真なる実在としての実体ではあり得ないとされたうえで、

その反対に、そうした何ものでもない不確定な存在としての質料に対して存在者としての形を与える形相の存在こそが、あらゆる事物の存在の根拠となる実体の真の姿であると主張されていくことになります。

そして、このように、

アリストテレス哲学における形相と質料の存在をめぐる一連の議論においては、

「形相因」「起動因」「目的因」対「質料因」という数的な意味における優位性だけではなく、真なる実在としての実体の存在の位置づけという存在論的な意味においても形相因の質料因に対する優越性が提示されていくことになると考えられることになるのです。

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神による天地創造における光としての形相と闇としての質料

また、前回の記事では、

アリストテレスの『形而上学』の議論においては、こうした形相因の存在は、世界そのものの存在の究極の原因としても位置づけられている不動の動者としての神の存在にも結びつけられていくことになるといった点についても考察しましたが、

例えば、

こうしたアリストテレス哲学の四原因説に基づく不動の動者としての神による世界の創造のあり方を、キリスト教の聖書における天地創造の物語になぞらえて語ってみるとするならば、

そうした神による天地創造以前「地は混沌であって、闇が深淵のおもてにあった」と「創世記」において語られている混沌や闇の存在が何ものでもない不確定な存在すなわち質料因としての存在のあり方に対応していると考えられることになります。

そして、それに対して、

「光あれ」という神の言葉によってそうした混沌と闇のうちに新たな世界の存在が創造された瞬間こそが、世界のうちにはじまりの形としての形相因が与えられた瞬間であると同時に、それは世界が始動した起動因としても位置づけられることになり、

さらには、そうした神の言葉による世界の創造からヨハネの黙示録が示すような最後の審判へと至る終局の時へと向けて必然的な形で展開していくことになる目的因の存在までもが、

こうした旧約聖書の「創世記」における天地創造の物語のうちには示されていると解釈することができると考えられることになります。

そして、そういった意味では、

こうした神による世界の創造といった観点からは、

それ自身としてはいかなる意味においても存在規定をもたない何ものでもない無や闇のような質料の存在に対して、新たなる姿かたちとしての光を与える形相の存在こそが神による天地創造の起源となった力として位置づけられることになると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

アリストテレス哲学における形相因と質料因という二つの原因概念の関係性においては、「形相因」「起動因」「目的因」対「質料因」という数的な意味における優位性と、

真なる実在としての実体の存在が質料因ではなく形相因のうちにのみ求められるという存在論的な意味における優位性が示されたうえで、

神による世界の創造の観点からは、天地創造の以前から存在する闇としての質料に対して、光としての形相が位置づけられることになるという

三重の意味において形相因の質料因に対する優越性が示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:アリストテレス哲学における男女観とは?形相としての男性原理と質料としての女性原理の位置づけ

前回記事:四原因説のなかで最も根源的な原因とは何か?形相因としての不動の動者の存在と形相因・起動因・目的因の一体性

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