アリストテレス哲学における能動性と受動性の捉え方、形相と質料および現実態と可能態における能動と受動の関係

前回までの一連の記事では、アリストテレス哲学存在論における形相と質料そして現能態と可実態といった主要な概念の具体的な意味について詳しく考察してきましたが、

こうしたアリストテレスの存在論の議論に基づく事物の捉え方においては、そのほかにも、能動性と受動性といった概念の区分のあり方も重要な観点として取り上げていくことができると考えられることになります。

形相(エイドス)と質料(ヒュレー)における能動性と受動性の位置づけ

形相と質料の違いなどの記事で詳しく考察してきたように、アリストテレスの『自然学』における事物の生成変化のあり方を説明する存在論の議論においては、

事物の生成変化を通じて変わることなく存続し続けている素材や材料としての存在のあり方が質料(ヒュレー)として定義されるのに対して、

そうした生成変化の前後において与えられる特定の事物としての姿かたちや本質としての存在のあり方が形相(エイドス)として定義していくことになり、

現実の世界におけるあらゆる事物は、こういた形相と質料と呼ばれる二つの原理が互いに結びついていくことによって形成されていると説明されていくことになります。

そして、

こうした形相と質料と呼ばれる事物における二つの存在の原理のあり方は、能動性と受動性という観点からは、

前者の形相(エイドス)能動的な原理、後者の質料(ヒュレー)受動的な原理としてそれぞれ位置づけていくことができると考えられることになります。

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例えば、

「ダビデ像」という一つの事物の存在のあり方について考える場合、

それは、彫像の素材すなわち質料としての「大理石」に、彫刻家の手によって「ダビデの姿」という形相が与えられることによって成立していると捉えられることになりますが、

このとき、

質料としての「大理石」の方は、形相としての「ダビデの姿」によって規定を受けるという受動的な働きを担っているのに対して、

形相としての「ダビデの姿」の方は、質料としての「大理石」に対して規定を与えるという能動的な働きを担っていると考えられることになります。

このように、

事物の形成において、規定を受ける側の存在である質料受動性、それに対して、規定を与える側の存在である形相能動性を担う存在としてそれぞれ位置づけられていくことになると考えられることになるのです。

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現実態と可能態という二つの様相のあり方における能動性と受動性の位置づけ

また、

こうしたアリストテレス哲学における形相と質料という事物の構成原理における能動性と受動性という二つの側面への位置づけのあり方は、

それと同様に、現能態と可実態という事物の様相のあり方についての議論においても適用していくことができると考えられることになります。

一般的に、

いまだ現実化してはいないもののいずれ現実化する可能性のある可能的な存在、すなわち、可能態の状態にある事物は、

それ以外のすでに現実の世界において実在している現実的な存在、すなわち、ほかの何らかの現実態の状態にある事物の作用を受けることによって新たに現実化して自らも現実態へと至ることになると考えられることになりますが、

そういった意味では、

そうした可能態から現実態への事物の様相の変化において、作用を受ける側の存在である可能態の状態にある存在は受動性、それに対して、作用を与える側の存在である現実態の状態にある存在は能動性を担う存在としてそれぞれ位置づけられていくことになると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

アリストテレス哲学における存在論の議論においては、

形相と質料という二つの事物の構成原理においては、前者の形相能動性へと結びつけられ、それに対して、後者の質料受動性へと結びつけられていくことになり、

現実態と可能態という二つの事物の様相のあり方においては、前者の現実態能動性へと結びつけられ、それに対して、後者の可能態受動性へと結びつけられていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:能動知性と受動知性の違いとは?アリストテレスの認識論における両者の位置づけと不動の動者としての神の存在との関係

前回記事:アリストテレスの哲学における純粋形相および純粋現実態としての不動の動者

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