宇宙論における弱い人間原理とは何か?ディラックの宇宙論における大数仮説とロバート・ディッケの宇宙の年齢の議論との関係
前回の記事でも書いたように、人間原理とは、オーストラリアの理論物理学者であるブランドン・カーターによって、1973年にはじめて提唱された
観測者としての人間や地球といった特別な存在の側から宇宙の構造のあり方を探求していく宇宙の捉え方に関する基本原理のことを意味する概念として定義されることになるのですが、
こうした人間原理と呼ばれる宇宙に関する基本原理のあり方の大本となる着想自体は、カーターによる人間原理の提唱にさかのぼること10年以上も前の時点において、すでにその原型となる理念が示されていたと考えられることになります。
人間原理の原型となる着想とディラックの宇宙論における大数仮説との関係
1973年のオーストラリアの理論物理学者であるブランドン・カーター(Brandon Carter)による人間原理の提唱にさかのぼること12年前にあたる
1961年に、アメリカの天体物理学者であったロバート・ディッケ(Robert Dicke、1916年~1997年)は、
ディラックの宇宙論における大数仮説の問題について考えていくなかで、のちにカーターによって弱い人間原理と命名されることになる宇宙の構造の捉え方に関する仮説を考え出していくことになります。
ポール・ディラック(Paul Dirac、1902年~1984年)とは、シュレーディンガーと共に現代における量子力学の基礎を築いた人物として有名なイギリスの理論物理学者であり、
彼が考え出したディラックの宇宙論と呼ばれる宇宙論の中では、陽子と電子の間に成立する電磁気力と重力の強さの比率や、宇宙に存在する陽子と中性子の数の比率、そして、宇宙の年齢と素粒子を光が通過するのに必要な時間との比率といった
物理学の基礎となる様々な物理定数同士の間には、10の40乗という非常に大きな数に基づく比例関係が成立していて、
そうした様々な物理定数同士の間に10の40乗というに特定の数値に基づく比例関係が成立しているのは、単なる偶然として解釈することはできず、
そこには、現実の宇宙において、そうした特定の数値に基づく物理定数の比例関係が選ばれることになった何らかの必然的な原理が存在するという考え方が提示されていくことになるのです。
ロバート・ディッケにおける宇宙の年齢の範囲を人間の存在の側から限定する議論
そして、
こうしたディラックの宇宙論における大数仮説の問題について考えていくなかで、前述したアメリカの天体物理学者であるロバート・ディッケは、
現在の時点における宇宙の年齢は、偶然にランダムに決まったものではなく、そうした現在の宇宙の姿がすでに実際に人間によって観測されている以上、
そうした現在観測されている状態にある宇宙の年齢は、その姿を現に観測している地球上における人間の存在を可能とする条件の範囲に限定されることになるという考え方を提示していくことになります。
現在の宇宙物理学の知見においては、現時点における宇宙の実際の年齢はおよそ138億年程度であると考えられていますが、
仮に、そうした現在の宇宙の年齢が、現時点における実際の年齢の10分の1の13億年程度であったとするならば、
そうした初期の段階の名残を強く残す宇宙のなかでは、いまだ水素やヘリウムといった質量が小さい原子から炭素や金属元素といったより質量の大きい原子への核融合は十分に進んでいなかったと考えられることになるので、
そうした若い宇宙の内部においては、太陽のような恒星や、木星のようなガスを主体とする惑星は存在していても、地球のような岩石を主体とする惑星の形成は極めて困難であったと考えられることになります。
しかし、その一方で、
仮に、今度は、そうした宇宙の年齢が実際の年齢の10倍の1380億年程度であったとするならば、
そうした古い宇宙の内部においては、すでに太陽のような恒星のうちの大部分がすでにその活動を終えて燃え尽きてしまっていると考えられるので、
そうした恒星の熱的活動が終息しつつある冷え切った宇宙の内部においては、仮に地球と同じような惑星が存在したとしても、その惑星上に人間のような知的生命体の存在へと至るような生命が育まれていく可能性は極めて低かったと考えられることになります。
そして、以上のような考え方に基づくと、
現にいま実際にこの宇宙を観測している人間の存在が前提とされる以上、そうした人間の存在を含む宇宙のあり方は、
現在推定されている宇宙の実際の年齢である138億年という値のせいぜい数分の一から数倍程度という極めて狭い限られた数値の範囲に、その存在可能性が限定されることになると考えられることになるのです。
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そして、一般的には、このように、
1961年に、アメリカの天体物理学者であったロバート・ディッケによって提唱された宇宙の年齢の可能的な範囲を人間の存在の側から限定する議論に基づいて、
観測者である人間の存在の側の原理に基づいて、現時点における宇宙の年齢やその内部における太陽系の位置といった宇宙における時間的・空間的位置が必然的に定まるとする考え方のことを意味する概念として、
宇宙論における弱い人間原理と呼ばれる概念が定義されることになると考えられることになるのです。
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次回記事:宇宙論における強い人間原理とは何か?ブランドン・カーターおよびジョン・バロウとフランク・ティプラーにおける定義の違い
前回記事:宇宙原理と人間原理の違いとは?観測者としての人間を原理とする宇宙観と一様的かつ等方的な宇宙の構造を原理とする宇宙観
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