フロイトとユングの心理学における五つの特徴の違いとは?男女観と宗教観の違いと元型やリビドーといった概念の捉え方の違い、深層心理学とは何か?⑩
フロイトの精神分析学とユングの分析心理学の間に存在する心理学理論の主要な共通点と相違点については、以前にも「ユングの分析心理学とフロイトの精神分析学の違い」でも取り上げたように、
フロイトとユングの両者とも人間の心の奥底に無意識と呼ばれる意識の力が直接及ばない心の領域の存在を認める一方で、
フロイトはそうした無意識の存在は個人の心の内部のみにとどまる個人的無意識の存在に限定されると考えたのに対して、
ユングはそうした個人的無意識よりもさらに深い階層に人類全体に共通する普遍的な無意識である集合的無意識と呼ばれる心の領域が存在すると考えたといった点を挙げることができると考えられることになります。
そして、
こうしたフロイトとユングの心理学の両者の間には、こうした無意識の捉え方の違いも含めた全部で五つの主要な特徴の違いを見いだすことができると考えられることになるのです。
フロイトとユングにおける元型やリビドーといった心理学的な概念の捉え方の違い
冒頭でも述べたように、集合的無意識と呼ばれる人類全体に共通する普遍的な心の階層の存在は、ユングの心理学においてのみ認められていて、フロイトの心理学においては認められていないと考えられることになるのですが、
それに伴って、
ユングの心理学においては、そうした人類全体に共通する普遍的な無意識の階層において、
哲学におけるイデアや生得観念の思想へも通じるような元型と呼ばれる個人の経験を超越した普遍的なイメージや観念の存在が見いだされていくことになり、
人類の歴史の中で長く語り伝えられていきた古代の神話や物語などの内にそうした元型に由来する普遍的なイメージの存在を探し出していくことができると主張されていくことになるのですが、
フロイトの心理学においては、集合的無意識の存在が認められていない以上、そうした集合的無意識の内部に存在するとされている元型についても、その存在自体が否定されていくことになります。
また、
フロイトの心理学においては、リビドーと呼ばれる根源的な心的エネルギーの存在がその心理学理論の中心に位置づけられていくことになるのですが、
フロイトにおいては、そうしたリビドーの存在は、個人的な無意識の領域に由来する原始的な性的エネルギーとして捉えられていくことになるのに対して、
ユングにおいては、そうしたリビドーの存在もまた、究極的には普遍的無意識の領域の内に起源を持つ存在として捉え直されていくことによって、
それは、普遍的無意識の内に存在する多彩な性質を持った元型の存在と同様に、多様な性質を持った根源的な心的エネルギーとして捉えられていくことになるといように、
両者の間には、こうしたリビドーと呼ばれる根源的な心的エネルギーのあり方についても、その捉え方に大きな違いを見いだしていくことができると考えられることになるのです。
唯物論的・無神論的なフロイトの思想と哲学的・宗教的なユングの思想
そして、
フロイトの心理学においては、前述したリビドー呼ばれる人間の心の奥底に存在するとされる根源的な心的エネルギーの存在のあり方は、
物理学におけるエネルギー保存則を適用することができるような量的な概念としても捉えられていくことになるのですが、
このように、フロイトの心理学は、哲学や文学といった人文科学系の学問分野よりも、物理学を中心とする自然科学系の学問分野における学問体系のあり方を重視し、そうした学問のあり方を理想とする形で組み立てられていると考えられるほか、
フロイト自身もまた、無神論あるいは唯物論の思想を持つ人物であったということが知られています。
それに対して、ユングの方は、
前述した集合的無意識の内に存在する元型と呼ばれる人類全体に共通する普遍的なイメージの体現を古代の神話や物語のうちに求めたことや、
晩年には曼荼羅(まんだら)に代表されるような東洋思想などにも深く傾倒していったことからもわかる通り、
ユング自身は、哲学や神話、文学や芸術といった人文科学を中心とする多彩な分野に幅広く関心を持つ宗教的な人物であったと考えられることになるのです。
フロイトにおける男性中心主義とユングにおける男女平等の思想
そして、さらにもう一つ、両者の心理学における主要な特徴の違いを挙げてみるとするならば、
フロイトの心理学においては、その中心理論の一つとして位置づけられるリビドーの発達段階のあり方が、口唇期・肛門期・男根期(エディプス期)・潜伏期・性器期という名称によって区分されていくことになるのですが、
こうしたリビドーの五つ発達段階の中心に位置づけられている「男根期」という言葉の用い方からもわかる通り、ここでは、そうしたリビドーの発達段階を示す言葉として、文字通り男性の存在のみを中心とした名称が使われていると考えられることになります。
こうしたことからも分かる通り、一般的に、フロイトの心理学においては、
男性の存在を人間の心のあり方の基準として位置づけたうえで、女性の心のあり方は、そうした男性的な心のあり方の付属物や代替的な存在として捉えられていくような男性中心主義的な傾向が強く見られていくことになると考えられることになるのです。
そして、それに対して、ユングの心理学においては、
例えば、
前述した普遍的無意識の領域に起源を持つ様々な元型的イメージのうちの一つとして、男性の心の無意識の領域の内に女性的な心の存在を見いだしてそれをアニマと呼び、
それに対して、女性の心の無意識の領域の内に男性的な心の存在を見いだしてそれをアニムスと呼んでいくことになります。
また、上述したフロイトの心理学のリビドー理論における男根期の別名であるエディプス期の名称の由来は、エディプスコンプレックスという男性の心における幼児期の心的傾向のあり方のことを示す心理学的な概念に求められることになるのですが、
そうしたエディプスコンプレックスという言葉に対応する女性の心における幼児期の心的傾向のあり方のことを指してエレクトラコンプレックスという名前をつけて、両者を対等な概念として位置づけた心理学者がユングその人であるように、
ユングの心理学においては、男性の心のあり方と女性の心のあり方は両者とも完全に対等な存在として捉えられていて、
むしろ、そうした性別を超えた領域に存在する人類全体に共通する普遍的な心のあり方としての集合的無意識の存在へとその心理学探究の方向性が向けられていくことになると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
フロイトとユングの心理学における主要な特徴の違いについて、一言でまとめると、
フロイトは人間の心の無意識の領域のうちに個人的無意識の存在のみを認めるのに対して、ユングはそうした個人的無意識よりもさらに深い心の階層のうちに人類全体に共通する普遍的な無意識としての集合的無意識の存在を認めているという点、
ユングはそうした集合的無意識のうちに、さらに元型と呼ばれる個人の経験を超越した普遍的なイメージや観念の存在を認めるのに対して、集合的無意識の存在を認めないフロイトにおいては元型の存在も否定されるという点、
フロイトにおいてその心理学理論の中心にあるリビドーと呼ばれる根源的な心的エネルギーの存在は個人的無意識の領域に由来する原始的な性的エネルギーとして捉えられているのに対して、ユングにおいてはそうしたリビドーもまた普遍的無意識の領域に由来する多彩な性質を持った心的エネルギーとして捉えられているという点、
フロイトの心理学が物理学を中心とする自然科学における学問体系を重視する唯物論的・無神論的な傾向が強いのに対して、ユングの心理学は神話や文学、芸術や東洋思想までも幅広く取り入れていくような哲学的・宗教的な傾向が強いという点、
フロイトの心理学においては男性中心主義的な思想を色濃く反映した用語選択や理論形成が行われているのに対して、ユングの心理学においは男性の心のあり方と女性の心のあり方が完全に対等な存在として捉える男女平等の思想がその根底に存在する点、
という全部で五つの点において、両者の間における主要な特徴の違いを見いだすことができると考えられることになるのです。
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次回記事:深層心理学の三つの分類とは?フロイトとユングとアドラーの心理学理論の違いのまとめ、深層心理学とは何か?⑪
前回記事:アドラーの個人心理学とフロイトの精神分析学の三つの特徴の違いとは?内向性と外向性の違いといった探究の方向性の相違点、深層心理学とは何か?⑨
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