ローマ人の定義とは何か?②ローマ人概念の拡大の歴史

前回考えたように、

ローマ人という概念の明確な定義について考えていくと、

それは、

文化的要素と、政治的・法的な規定、そして、
人々自身の帰属意識という三つの構成要素をすべて満たす人々
という定義に行き着くことになると考えられます。

つまり、

ローマの文化圏の中で生活を営み、
ローマ市民権を持つことによって政治的にも法的にもローマ人とみなされ、
自分自身がローマ人であるという帰属意識を互いに有する人々が

ローマ人であるということです。

そして、

こうした定義に基づいて
ローマ人の概念を捉えるとき、

それは、歴史を通じて
固定された単一の範囲を持つ概念というわけではなく、

むしろ、

王政ローマから共和政ローマ、そして、帝政ローマへと
ローマという国家が発展していき、その版図を広げていくにしたがって、

ローマ人という民族の概念自体も
その範囲を拡大していくことになります。

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イタリア半島におけるローマの政治的支配の拡大の歴史

都市国家ローマが建設された
紀元前8~7世紀頃の段階においては、

ローマ人は、ラテン人という民族の一部をなす
ごく小規模の勢力に過ぎないのですが、

有能な王による治世と、近隣のエトルリア人の影響下において
徐々にその勢力を拡大していった王政ローマは、

紀元前6世紀末になると、ラテン人諸都市の緩やかな同盟である
ラテン同盟((英)Latin League、ラテン語ではラティウム同盟(Foedus Latinum))の盟主としてラテン人全体を主導する存在となります。

そして、そののち、

ローマ市民がエトルリア人王政を打破し、
共和政ローマの時代となると、

共和政ローマと、旧王政ローマの残党を支持する
他のラテン人諸都市との間で行われた戦争である
紀元前4世紀頃ラティウム戦争を経て、

ラテン人が居住するラティウム地方全体
ローマの傘下へと入ることになります。

そして、さらに、

ローマの勢力下にあったイタリア半島各地の諸都市
自分たちの地位の向上を求めて蜂起した戦争である
紀元前1世紀同盟市戦争がローマ本国側の妥協の末に
その終結を迎えることになると、

最終的には、イタリア半島全域がローマの支配下へと
完全に組み込まれることになるのです。

160060003 ローマ人とラテン人とイタリック人の勢力範囲の変遷、ローマ人概念の拡大の歴史

ローマの文化圏の拡大とラテン人のローマ人への同化

文化的側面においても、

紀元前4世紀にラティウム戦争が終結すると、
ローマに降伏したラテン人諸都市の一部
ローマの直轄支配を受けて完全にローマ化されていくことなり、

自治的な統治を認められた一部のラテン人都市も
ローマの行政官を受け入れたり、ローマの植民市とされることによって、
次第にローマ化が進んで行くことになります。

こうしてラテン人全体が
ローマの文化の中へと溶け込んでいくことになり、

ラテン人という概念自体が
ローマ人という概念の内へと吸収され、

両者の概念が同化していくことになるのです。

ローマ市民権のイタリア全土への拡大

また、法規定の面においても、

紀元前4世紀~紀元前3世紀頃の
イタリア半島統一戦争の時代から

新たに支配したイタリア諸都市の有力者などには
ローマ市民権が付与されるなど

市民権のローマ都市外への拡大は
徐々に進んではいたのですが、

ローマ市民権がイタリア全土の一般市民へ向けて
一気に拡大されていくのは

紀元前1世紀に起こった同盟市戦争以降
ということになります。

同盟市戦争とは、そもそも、
共和政ローマの支配下にあったイタリア半島各地の諸都市
ローマ市民権を求めて蜂起した実質的な内戦であったのですが、

これを機に、イタリア半島の諸都市全体へと
ローマ市民権が付与されることになっていったので、

この段階で、法的な観点においても正式な形で、
イタリア半島に居住する人々全体
ローマ人として認められていくことになるのです。

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ローマ人としての帰属意識の定着

最後に、

ローマ人の定義を構成する三要件の内の
最後の一つであった

自分自身がローマ人であるという自覚、
人々自身の帰属意識という問題について考えてみると
それは以下のようになります。

紀元前5~4世紀頃におけるラテン人全体のローマへの参入、および、
紀元前3世紀頃におけるイタリア全土のローマ支配下への組み入れの
各段階において、

新たにローマの支配下に組み入れられた人々が、その後、
あまり大規模な反乱をローマ本国に対して起こすことがなかったというのが、

これらの地域に居住する人々が
あまりローマ人という帰属意識を受け入れることに抵抗がなかったと考えられる
一つの消極的な証拠となるとも考えられますが、

こうした事態がよりはっきりとしてくるのは、
やはり、紀元前1世紀同盟市戦争の頃ということになるでしょう。

同盟市戦争とは、先ほど述べたように、
イタリア半島各地の諸都市がローマ市民権を求めて蜂起した内戦
であったわけですが、

逆に言うと、

同盟市戦争が起きた
紀元前1世紀の段階においては、

イタリア全土の人々が、すでに、
自分は本来はローマ人であるべきである
という認識を当然のように持っていて、

そうした自己認識帰属意識
現実の法的な規定と権利を一致させようとしたことが

こうした同盟市戦争が引き起こされるための
一つの前提条件となっていたと考えることもできるでしょう。

つまり、

紀元前3世紀にイタリア半島がローマによって統一されてから
紀元前1世紀の同盟市戦争へと至るまでの
200年間にわたるローマのイタリア統治の間に、

ローマによる支配を受け、ローマという国家の庇護下で暮らし、
ローマの文化のもとで育ってきた

イタリア半島全土の人々が

自分たち自身もローマ人であるという
帰属意識を強く持つようになっていったと考えられる
ということです。

・・・

以上のように、

ローマという国家が
その政治的支配を拡大していくなかで、

ローマの文化圏の拡大と、
ローマ市民権の適用範囲の拡大、そして、
支配地域の人々のローマ人としての帰属意識の定着という

三つの構成要素のすべてを満たす形で、
ローマ人という概念自体がその範囲を拡大していくことになります。

そして、

はじめは、ラテン人たちが居住する地域の
一つの新興都市に過ぎなかったローマが

紀元前4世紀頃までには、
周りのラテン人の諸都市を吸収していく形で
ラテン人全体ローマのもとへと糾合していくことによって、

ローマ人は、ラテン人全体を包含する概念となり、

さらに、

紀元前1世紀同盟市戦争を経て、
イタリア全土の人々がローマ市民権を持つようになり、

人々自身の心の内に
ローマ人としての帰属意識が深く定着していくことによって、

ローマ人という概念は、
イタリア半島に居住するイタリア系民族全体を包み込む概念へと
膨れ上がっていくことになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
ローマ人の定義とは何か?①三つの構成要素に基づく説明

関連シリーズの次回記事:
海洋民族エトルリア人の特徴と、トスカナ地方とティレニア海の語源

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