ナウシカが語る人類が歩むべき第三の道としての生命の道とは?『風の谷のナウシカ』が示す人類が歩むべき三つの道②

前回書いたように、漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終盤の場面においては、墓所の主である旧世界の影たちが語る言葉を通じて、

人々が自らの自由を放棄して墓所の主たちの計画に従うことで秩序と平和を得ることになる光の道と、人々が自らの欲望のままに自由に振る舞うことで破壊と闘争がもたらされることになる闇の道という人類が進んで行く可能性のある二通りの道が提示されていると考えられることになります。

しかし、

こうした墓所の主たちが提示するいずれの道もナウシカは選ぶことなく、彼女は、そのどちらにも当てはまらない第三の新たな道を見いだし

現在の世界を生きる人類と共に、自らその道を歩んでいく決断を下すに至ることになるのです。

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ナウシカが語る光と闇の両方をあわせ持つ第三の道へと通じる思想

漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終巻である第七巻の最終盤の場面において、ナウシカは、

お前は危険な闇だ生命は光だ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、201ページ。)

と語る墓所の主たちの言葉に対して、

ちがういのちは闇の中でまたたく光だ!!」(『風の谷のナウシカ』第七巻、201ページ。)

と反論することによって、墓所の主たちの唱える光と闇の二分法には捕らわれずに、そうした光と闇の両者をあわせ持った第三の道を選び取る決意を固めていくことになります。

そして、その後さらに、

お前は悪魔として記憶されることになるぞ。希望の光を破壊した張本人として。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、208ページ。)

と迫ってくる墓所の主たちに対して、ナウシカは、

「かまわぬ。そなたが光なら光など要らぬ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、208ページ。)

と言い返したうえで、

「巨大な墓や下僕などいなくとも、私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる私達の神は、一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、208ページ。)

と語り、彼女は、

墓所の主たちが「光」と称している現在の生物たちを犠牲とした世界再生の計画を、墓所もろとも巨神兵の放つ炎の光によってすべて焼き払ってしまうという裁定を下すに至ることになるのですが、こうしたナウシカが語っている一連の言葉からは、

「一枚の葉」「一匹の蟲」にも等しく宿っている生命をすべての価値観の基準とすることによって導かれる、人類が進むべき新たな第三の道へと通じる思想を見いだすことができると考えられることになります。

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秩序に基づく平和と自由に基づく闘争の両方をあわせ持つ生命の道

 王蟲や粘菌といった腐海の森に生きる様々な生物たちは、人間たちなどの外部からの攻撃を受けることによって怒りに我を忘れて暴走し出すと、

大地を飲み込むように目につくあらゆるものを破壊し、共食いまでするほどの激しい闘争を繰り広げていくことになりますが、

そうした危機と混乱の時が過ぎて、徐々に事態が終息へと向かい出すと、それぞれの生物たちは、やがて、互いに共生関係を営むことなどによって、新たな生態系のバランスを築いていくことになり、

そうした生物たちの自発的な行動が集積していくことによって、自然に、腐海の森の内に新たな秩序が形づくられていくことになります。

このように、

生命という存在の内においては、本来は、互いに対立し、反目しあう関係にあるはずの自由と秩序、そして、闘争と平和という二つの概念が、

互いに調和して、両者とも矛盾せずに成立しているとも解釈することもできると考えられることになるのです。

つまり、

こうした漫画版の『ナウシカ』の最終章において提示されている墓所の主たちとナウシカとの間の人類が歩むべき道をめぐる形而上学的な議論において、ナウシカは、

人間が自らの欲望を自由に追求していくことによって破壊と破滅へと際限なく突き進んでいく自由と闘争の世界へと至る闇の道でも、

人々が自らが持つ自由意志を放棄して、予め定められた計画にひたすら従順に従って奴隷のように生きることによってもたらされる秩序と平和の世界へと至る光の道でもなく、

まさに、そうした、すなわち、秩序に基づく平和自由に基づく闘争の両方の性質をあわせ持つ生命の道を人類が歩むべき第三の道として見いだしていると考えられることになるのです。

そして、この物語は、

ナウシカと、彼女のことを導いてきた森の人であるセルムが交わす

・・・

セルム「生きましょうすべてをこの星にたくして、共に……。」

ナウシカ「さあ、みんな。出発しましょうどんなに苦しくとも。」
ナウシカ「生きねば…………。」

(『風の谷のナウシカ』第七巻、223ページ。)

・・・

という言葉を残して終わりを迎えることになるのですが、こうした物語の最後を締めくくる言葉においても示されているように、

ナウシカは、そうした生命をすべての基準とすることによってもたらされる自由と秩序闘争と平和とが互いに調和した世界へと通じる第三の道こそが、人類が進んで行くべき道であるという裁定を下したうえで

ナウシカ自身もまた、そうした生命自体を至上の価値とする第三の道人々と共に歩んでいく決断を下すに至ったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:慈愛に満ちた女神と荒々しい破壊者としてのナウシカの二面性とは?両方の側面をあわせ持つ気高き裁定者としてのナウシカの姿

前回記事:オーマという巨神兵の名の由来とは?ケルト神話における戦いの神オグマとダーナ神族との関係、巨神兵とは何か?③

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