「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」というイギリスの博物学者ジョン・レイの言葉の具体的な意味とは?

「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という格言は、17世紀のイギリス博物学者であったジョン・レイが語ったとされている言葉ですが、

この言葉は、一言でいうと、

ロバにとっては自分と同族であるロバの姿魅力的で美しく感じられ、ブタにとってはブタの姿が美しく惹きつけられて感じられることになり、

それとは逆に、ロバがブタの姿を見て美しいと感じるとか、ブタがロバの姿にたまらなく惹きつけられるといったことはあまり考えられないというように、

ロバやブタ、あるいは、人間自身についても、それぞれの人々や生き物たちは、自分と同族にあたる存在に対して親近感を覚え、そうした存在のことを美しく魅力的に感じることが多いといった意味を表す言葉であると考えられることになります。

そして、そうした意味では、この言葉は一般的には、日本のことわざでいうと、

「類は友を呼ぶ「蓼(たで)食う虫も好き好き」といった言葉と似通った意味を表す言葉として用いることができると考えられることになるのですが、

その一方で、

この言葉を語ったとされるジョン・レイという人物が博物学と呼ばれる近代生物学へとつながる学問分野の専門家にあたる人物であったことを考慮に入れると、

上記の「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という格言には、もう少し深い意味合いが込められていると解釈することもできると考えられることになります。

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生物の種族間での価値観の相対性と等価性を表す言葉としての「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という格言の具体的な意味の解釈

冒頭でも少し触れたように、「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という格言を語ったとされているジョン・レイ(John Rayは、

17世紀イギリス博物学者で、イギリスにおける博物学の父ともされている人物であり、

近代生物学において、種(species、スピーシーズ)という言葉に初めて厳密な生物学上の定義を与えた人物としても知られています。

そして、

そうした彼自身の手による種(speciesという概念の生物学的な定義についての具体的な記述のなかでは、生物学における種とは、

一つ一つの種が別の種の特徴とは明確に区別されるそれぞれの種に固有の特徴を持っていて、そうした特徴を恒久的に保持することができる独立した存在であると定義されているので、

上記の格言のなかに出てくるロバやブタといった言葉についても、

それは、こうしたそれぞれの種における固有の特徴を有する独立した体系をもった存在である生物学的な種としての「ロバ」や「ブタ」のことを意味していると考えられることになります。

そして、そういう意味では、

上記の「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という言葉が示している意味内容は、

「類は友を呼ぶ」というように、単に似通った性質をもったもの同士が集まって同じ価値観を共有しているということだけにとどまらず、この格言においては、

例えば、

ロバの価値観とブタの価値観が一致しないからといって、そのことによって、ブタの価値観の方がロバの価値観よりも劣っているとか、間違っているといったことを意味することにはならないと考えられるように、

ロバやブタ、人間といった個々の生物の種族にはそれぞれの種族のうちにおいてのみ有用な特性や、それぞれの種族に特有の価値観の体系が存在していると考えられ、

そうしたそれぞれの生物の種族における価値観は、種族同士の間において常に相対的で等価値であるということが語られていると解釈することができると考えられることになるのです。

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博物学者であるジョン・レイの格言と文化相対主義や多文化主義との関係

以上のように、

冒頭で挙げたジョン・レイ「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という格言は、

ロバやブタや人間といった個々の生物の種族における種の体系や価値観の独立性と相対性のことを意味する言葉として捉えることができると考えられることになります。

そして、

こうしたそれぞれの生物の種族の独立性に基づいて、個々の種族における価値観の相対性と等価性を主張する考え方をさらに先へと進めていくことができるとするならば、

それは、生物の種族間だけにとどまらず、人間の社会個々の民族同士の間における価値観の相対性と等価性のことをも示す言葉としても捉えていくことができると考えられることになります。

つまり、そういう意味では、

こうしたジョン・レイが残した「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい」という言葉は、

生物の個々の種族における種の独立性のあり方を意味するだけにとどまらず、人間社会それぞれの民族における文化の固有性や、それぞれの文化における価値観の相対性と等価性をも示す言葉として解釈することができるという意味において、

それは、それぞれの社会や民族における互いに異なる特徴を持った文化のあり方を、互いに同等独自の価値体系をもった文化として尊重していこうとする

現代における文化相対主義や、多文化主義にも通じる言葉としても解釈していくことができると考えられることになるのです。

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