宇宙論的証明とは何か?①アリストテレスの「不動の動者」に基づく神の存在証明の議論

宇宙論的証明とは、頭の中の概念の世界だけはなく、現実の世界において神が実際に存在することを理性によって論証しようとする神の存在証明と呼ばれる一連の哲学的な議論のうちの一つの論証のパターンのあり方のことを意味する概念であり、

一言でいうと、宇宙論的証明とは、現実の宇宙における様々な事物の因果系列をどんどん過去へとさかのぼっていくことによって、最終的に、そうした宇宙に存在するあらゆる事物の究極の根拠となる第一原因としての神の存在へと行き着くという神の存在証明のあり方を意味することになります。

そして、哲学史において、こうした宇宙論的証明と呼ばれるような神の存在証明の議論のあり方を提示した有名な哲学者としては、

古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスや、中世スコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナスといった名前が挙げられることになるのですが、

今回と次回の記事では、そうしたアリストテレストマス・アクィナスの哲学思想において示されていると考えられる宇宙論的証明と呼ばれる神の存在証明の議論の具体的な論証の道筋のあり方について考えていきたいと思います。

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アリストテレス哲学における「動かされずに動かす者」としての不動の動者の定義

まず、

紀元前4世紀古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの哲学思想の内から読み取ることができる神の宇宙論的証明の議論は、不動の動者と呼ばれる哲学的な概念を中心として進められていくことになるのですが、

「不動の動者」とは、一言でいうと、アリストテレスの著作である自然学形而上学のなかに出てくる神の概念のことを意味する言葉であると考えられることになります。

アリストテレスの『自然学』や『形而上学』における宇宙の存在のあり方についての議論のなかでは、

動くものは常に何かによって動かされることによって動くという原理が世界の内に存在するあらゆる事物の運動の原理として打ち立てられたうえで、

そうした「他のものによって動かされて動くものの系列をどんどん過去へとさかのぼっていくと、最終的に、

自らは他の何ものによっても動かされずにいながら、他のあらゆるものを動かす究極の原因となる「不動の動者」としての神の概念へと至ることになるという議論が示されていくことになります。

つまり、アリストテレス哲学においては、

「自らは動かされずに、他のものを動かす者」という意味で、「不動の動者」という言葉が用いられていて、

そうした「不動の動者」としての神は、それが世界の内にあるあらゆる存在の運動の根本原因であるという意味において、世界のはじまりの究極の原因ともなっていると考えられることになるのです。

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不動の動者に基づくアリストテレスの宇宙論と神の宇宙論的証明の議論

そして、アリストテレスの「自然学」においては、こうした「不動の動者」と呼ばれる世界のはじまりの究極の原因としての神の存在が前提とされることによって、

そうした不動の動者としての神によって動かされた天体たちが天球のなかで円運動を始めることによって、宇宙の内に最初の運動が生じ、

そうした宇宙全体におけるマクロレベルの運動を源として、そこから動物や植物などの成長や変化なども含めた地上におけるあらゆる事物の運動や生成変化としてのミクロレベルの運動のあり方も説明されていくという壮大な宇宙観が組み上げられていくことになります。

・・・

以上のように、

アリストテレス哲学における「不動の動者」としての神宇宙の運動の究極の原因とする宇宙論に基づくと、

宇宙の内に存在するあらゆる事物の運動のあり方について、それぞれの事物における運動の原因の系列をさかのぼっていくことによって、

自らは他の何ものによっても動かされず、他のあらゆるものを動かす究極の原因となる「不動の動者」としての神の存在へと至ることになると考えられることから、

こうしたアリストテレス哲学における「不動の動者」を中心とする哲学思想のうちに、

 現実の宇宙におけるあらゆる事物の因果系列をさかのぼっていくことによって第一原因としての神の存在を論証するという

宇宙論的証明の原型となる神の存在証明の議論を見いだすことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:宇宙論的証明とは何か?②トマス・アクィナスによる三通りの神の存在証明の議論

前回記事:トマス・アクィナスの『神学大全』の「五つの道」における神の存在証明のあり方の違いとそれぞれの論証の区分のまとめ

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