人を殺してはならない論理的な理由とは?③共感性と身体感覚に基づく証明

このシリーズの初回の記事前回の記事で書いたように、

人を殺してはならない論理的な理由を示すための論証パターンについては、

自己の生命の肯定他者との平等性という人間の心の内にある二つの直観的前提に基づいて論証を行う方法や、

人間社会における秩序の維持功利主義に基づく善悪の判断という二つの概念から論証を行う方法などの様々論証パターンが考えられることになります。

そして、今回取り上げる第三の論証パターンにおいては、

痛みや苦痛といった自分自身の身体感覚と、他者の感情や苦痛に対する共感性という二つの概念からスタートして、「人を殺してはならない」という結論を必然的に導く議論を考えてみたいと思います。

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痛みや苦痛といった身体感覚に基づく原始的な悪の定義

まず、今回取り上げる論証パターンにおいて、はじめの前提となる身体感覚についてですが、

痛みや苦痛といった自分自身の身体感覚は、極端な痛覚異常が発生するような特殊なケースを除いて、ほとんどすべての人間に共有されている生得的で最も基礎的な感覚であると考えられることになります。

そして、

こうした痛みや苦痛という感覚は、極めて強い不快感やマイナスの感情に直結する感覚であると考えられることになるので、

そういう意味において、自分の身体において痛みや苦痛といった身体感覚が引き起こされるあらゆる現象は、それが病気の症状であれ、他者から加えられる加害行為であれ、基本的にすべて悪しきことであるとみなされることになります。

つまり、

人間の生得的な身体感覚に基づく原始的な悪の定義においては、

人間の心の内に不快感やマイナスの感情が引き起こされることがであり、そうした感情が必然的に引き起こされることになる痛みや苦痛といった身体感覚がもたらされる行為が悪しき行為であると定義されると考えられることになるのです。

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共感の能力の起源と悪の定義の拡大

そして、それに対して、

次に取り上げる共感性の概念の方は、身体感覚のような完全に生得的な概念であるとまでは言えないまでも、

それはあらゆる人間関係の前提に存在している極めて根源的な感覚であると考えられることになります。

人間の心の内に、他者が感じていることに同調し、自らも他者と同じ感覚や感情を共有する能力である共感という感覚が、どのようにして芽生えるものなのか?ということについては、様々な解釈の余地がありますが、

それが人間が自分自身の身体感覚として感じている痛みや苦痛のような原始的な感覚と極めて深い関係にある感覚であることは確かであると考えられることになります。

例えば、

ある人が別の誰かに殴られて痛みを感じると、その痛みによって思わず自分の顔を歪めることになりますが、

それに対して、その人が殴ってきた相手に反撃して殴り返すと、その殴られた別の誰かも彼自身が感じた痛みによって自分と同じように顔を歪めることになります。

そして、

そうした相手の表情を見ているうちに、

自分が相手に殴られて痛いと感じたのと同じように、おそらく自分が殴った相手も自分と同様の痛みを感じているのだろうという推測が無意識のうちに働くようになり、

このようなことを繰り返しているうちに、殴られた相手の苦痛の表情に対して、自分自身が殴られた時に感じるのと同じような痛みの感覚を投影して、まるで自分が殴られたのと同じような不快感を感じるという共感の感覚が成立するようになっていくとも考えられることになります。

いずれにせよ、こうした共感性と呼びうるようなあらゆる人間関係の前提に存在している根源的な感覚を介することによって、

人間の心の内に不快感やマイナスの感情を引き起こす悪しき行為の範囲は、

自分自身の身体に痛みや苦痛の感覚がもたらされる行為だけではなく、自分と同じような存在である他者の身体に対して痛みや苦痛がもたらされる行為にも拡大されて適用されていくことになります。

そして、それによって、

自分あるいは他者の身体に対して最大限に大きな痛みや苦痛をもたらすことになる殺人行為は、最も悪しき行為の一つとして定義づけられることになると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

こうした身体感覚共感性という二つの概念に基づくと、

それが自分の痛みであれ、他者の痛みであれ、痛みや苦痛といった身体感覚をもたらすあらゆる行為は悪しき行為であるとみなされることになるので、

このような議論の流れによって、自分自身の身体感覚と、他者の感情や苦痛に対する共感性という二つの観点から「人を殺してはならない」という結論必然的に導かれると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:なぜ人を殺してはならないのか?という問いに対する十通りの答え方

前回記事:人を殺してはならない論理的な理由とは?②社会秩序の維持と功利主義に基づく証明

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