「分かる」という言葉の語源と本来の意味とは?論理の力によって分かたれる真と偽の領域の区分
前回の記事で書いたように、
「分かる」という言葉は、この言葉の基本的な意味である狭義の意味においては、「理解する」という言葉と同義語として捉えられることになり、
それに対して、広義の意味においては、「頭で理解すること」だけではなく、「心で共感すること」なども含めたより広い認識のあり方のことを意味する言葉として捉えられることになります。
それでは、こうした狭義における基本的な意味では「理解すること」を意味すると考えられる「分かる」という言葉自体はどのような語源から来ていて、
この言葉が持つ本来の意味は具体的にはどのようなところにあると考えられることになるのでしょうか?
「分」という漢字の成り立ちと本来の意味とは?
「分かる」という言葉の語源について考えていくためには、まず、この言葉に使われている「分」という漢字の成り立ちについて考えていくことが必要となります。
すると、
「分」という漢字の上の「八」の部分は、棒やひものようなものが「二つに分かれている状態」を示していて、
それに対して、
「分」という漢字の下の「刀」の部分は、この文字自体が単独で持つ意味の通り「刀で切り分ける」ことを意味することになります。
したがって、この漢字全体が持つ意味としては、
切れ味の鋭い刃物でスパッと切るように対象となっている物事を二つにしっかりと切り分けるということが、
「分」という漢字自体が持っている本来の意味であると考えられることになるのです。
それでは、このように、
「分かる」という言葉が持っている本来の意味が、物事を二つに切り分けることにあるとすると、
ある物事が「分かる」というときに、それは具体的には一体何によって分けられていると考えられることになるのでしょうか?
論理の力によって分かたれる真と偽の領域の区分
すると、まず、
人間の認識において「分かる」という言葉が使われている時に、
その言葉は、ある物事に関する判断を真であると判定るすか?それとも偽であると判断するか?という物事の真偽の判断に深く関係する形で用いられていることに気づくことになります。
例えば、
「地球は丸い」ということが「分かる」というときに、この言葉は、観測的事実や物理的法則に基づいて、「地球が丸い」という見解が正しい真の判断であることを知っているということを意味することになります。
そして、それと同時に、
上記の見解が真であると判定されるということは、それと異なった見解である「地球は平らだ」あるいは「地球は四角い」といった他の見解は誤った偽の判断であると判定されることになり、
このように、「地球は平らだ」「地球は四角い」といった見解が偽であると判定されることとの対比において、「地球は丸い」という見解は真であると判定されることになります。
つまり、
「地球は丸い」という真の判断が「地球は平らだ」といった他の偽の判断から明確に分けられることによって、「地球は丸いことが分かる」という認識が成立していると考えられることになるのです。
このように、
人間の認識において「分かる」という言葉を用いるとき、それはより具体的には、
物事に対する判断を、物理法則や論理法則といった一定の筋道に従って、それが真であるか?それとも偽であるか?というどちらか一方の区分へと分類することを意味していると考えられることになります。
つまり、
物事における客観的な道理や人間の知性に備わった論理の力に基づいて、様々な判断が真か偽かのいずれかの領域へと分けられることによって、
人間における「分かる」という認識のあり方が成立していると考えられることになるのです。
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以上のように、
「分かる」という言葉の語源について、「分」という漢字自体の成り立ちにまでさかのぼって考えてみるとき、
「分かる」という言葉自体が持っている本来の意味は、「物事を二つに切り分けること」にあるということが明らかとなります。
そして、
人間の認識において「分かる」という言葉を用いるとき、それはより具体的に言うと、
人間が持つ普遍的な論理の力によって、様々な物事に関する判断が真か偽かのいずれかの領域へと分かたれることを意味していると考えられることになるのです。
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