嘘つきのパラドックスの構造と具体的な証明の手順、嘘つきのパラドックスとは何か?③
前回書いたように、
嘘つきのパラドックスにおいて、
必然的にパラドックスが帰結することを証明するためには、
「この文は偽である」という命題について、
この文を真であると仮定しても偽であると仮定しても、
どちらの場合においても同等に矛盾する結論が帰結してしまうこと論証すればよいと考えられることになります。
そこで、今回は、
「この文は偽である」という命題の文構造を分析していくことによって、
この命題において生じるパラドックスの構造を明らかにし、
そのことを通じて、嘘つきのパラドックスにおいて必然的にパラドックスが帰結することを示すための具体的な証明の手順について考えていきたいと思います。
「この文は偽である」という文におけるパラドックスの証明
冒頭で述べたように、「この文は偽である」という命題において必然的にパラドックスが帰結することを証明するためには、
「この文は偽である」という命題を真であると仮定しても偽であると仮定しても、
どちらの場合においても矛盾する結論が帰結すること論証すればよいので、
論証の流れとしては、
まずは、「この文は偽である」という命題を真であると仮定したうえで、
その仮定から、この文が真と同時に偽でもあるという矛盾する結論が必然的に帰結することを示し、
その上で、今度は逆に、「この文は偽である」という命題を偽であると仮定した場合でも、その仮定から、この文が真と同時に偽でもあるという矛盾する結論が必然的に帰結することを示せば、
「この文は偽である」という命題において必然的にパラドックスが帰結することが証明されるということになります。
そして、
上記のような論証の手順に従ったパラドックスの証明は、
具体的には、以下のような議論によってなされることになります。
・・・
まず、前提として、
「この文は偽である」という文における「この文」とは、
「この文は偽である」という文自体、すなわち、この文の全体のことを指すと考えられることになるので、
「この文」=「この文は偽である」・・・前提A
ということになります。
そこで、上記の論証の手順に従って、はじめに、
「この文は偽である」という命題を真であると仮定すると、
「この文は偽である」=真・・・仮定①
ということになります。
そして、
「この文は偽である」という文が真であるということは、
上記の文内容は正しいということになるので、この文は偽、すなわち、
「この文」=偽・・・結論①
という結論が帰結することになります。
しかし、その一方で、
はじめに述べた前提Aに基づくと、
「この文は偽である」=「この文」ということになるので、
前提Aと仮定①より、
「この文は偽である」=「この文」=真・・・結論①’
という結論が帰結することになります。
したがって、
結論①と結論①’より、
「この文」=偽=真
という結論が帰結することになりますが、
同じ文が偽であり、かつ、真でもあるというのは矛盾なので、
「この文は偽である」という命題を真であるとする同じ仮定から
この文が偽であると同時に真でもあるという矛盾する結論が必然的に帰結することが示されたことになります。
次に、
「この文は偽である」という命題を偽であると仮定すると、今度は、
「この文は偽である」=偽・・・仮定②
ということになります。
そして、
「この文は偽である」という文が偽であるということは、
上記の文内容は間違っているということになるので、
この文は偽ではない、つまり、この文は真であるということになり、
「この文」=真・・・結論②
という結論が帰結することになります。
しかし、その一方で、
前提Aに基づくと、
「この文は偽である」=「この文」なので、
前提Aと仮定②より、
「この文は偽である」=「この文」=偽・・・結論②’
という結論が帰結することになります。
したがって、
結論②と結論②’より、
「この文」=真=偽
という結論が帰結することになりますが、
同じ文が真であり、かつ、偽でもあるというのは矛盾なので、
「この文は偽である」という命題を偽であるとする同じ仮定から
この文が真と同時に偽でもあるという矛盾する結論が必然的に帰結することが示さたことになります。
以上のように、
「この文は偽である」という命題を真であると仮定しても偽であると仮定しても、
どちらの場合においても「この文は真であると同時に偽でもある」という矛盾する結論が帰結することになるので、
「この文は偽である」という命題において
必然的にパラドックスが帰結することが論証されたことになるのです。
・・・
上記の論証によって、
「この文は偽である」という命題におけるパラドックスの構造が明らかとなり、
したがって、嘘つきのパラドックスにおいて必然的にパラドックスが帰結することが証明されたことになるのですが、
このような議論によって論証された嘘つきのパラドックスの原型には、
クレタ人のパラドックスとして知られる紀元前6世紀頃の古代ギリシア世界にまでさかのぼることができる古い議論があると考えられることになります。
そして、
この議論は、クレタ島出身の伝説的な詩人・預言者エピメニデスや、
新約聖書における使徒パウロから聖テトスへの書簡とも関係のある深い歴史を持つ議論ということにもなるのですが、
その一方で、
このクレタ人のパラドックスは、パラドックスと呼ばれていながら、
正確にはパラドックスとして成立していない、
嘘つきのパラドックスとは似て非なる議論であるとも考えられることになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:「私は今、嘘をついている」と「この文は偽である」の同値性とパラドックスの定義、嘘つきのパラドックスとは何か?②
このシリーズの次回記事:クレタ人のパラドックスの由来と使徒パウロの聖テトスへの手紙、クレタ人のパラドックスとは何か?①
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