ロムルスの弟殺しと七つの丘の上の建国、古代ローマ建国史④

暴君アムリウス王を倒し、アルバ・ロンガの都を取り戻した
ロムルスレムスでしたが、

若い兄弟たちは、そのまま
アルバの都に安穏としてとどまることを良しとはしませんでした。

二人は、自らの手で自らが理想とする
新たな国を築くため、

かつて、赤子だった自分たちが籠に流されてたどり着き、
狼によって育てられたティベル川のほとり、
パラティヌスの丘へと戻ることとし、

この地で兄弟二人で協力して、
新しい都市を建設する計画を立てることにします。

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ロムルスの弟殺しとパラティヌスの血塗られた城壁

はじめのうちは、ロムルス
パラティヌスの丘Palatinus、イタリア語ではパラティーノ(Palatino))

それに合わせて、レムス
隣接するウェンティヌスの丘Aventinus、イタリア語ではアヴェンティーノ(Aventino))を開拓するというように、
というように、

兄弟で力を合わせて
新しい都市の建設に邁進していくことになるのですが、

一つの国に、王となる力を持った
二人の支配者が君臨する余地はなく、

兄弟は、新しい都の中心を
兄が開拓したパラティヌスの丘に置くのか、
それとも弟のアウェンティヌスの丘に置くのか
ということで激しく言い争うようになります。

堅い絆で結ばれていたはずの
ロムルスとレムスの兄弟の間にも

旧約聖書のカインとアベルの話のように、
不和が生じ、それが次第に怒りと憎しみへと膨らんでいき、
ついに、肉親の間での殺意にまで至ることになるのです。

都の中心をどちらに置くのかという問題については、
二人がそれぞれの丘に自らの祭壇を置き、

互いの祭壇に舞い降りた鷲の数を競うことによって、
神の啓示を仰ぐこととし、

結果、レムスの祭壇の方へ先に6羽の鷲が降りますが、
そのすぐ後に、ロムルスの祭壇に12の鷲が舞い降りたので、

兄のロムルスの計画に従って、パラティヌスが新しい都の中心となり、
そのパラティヌスの丘の上に
ローマの最初の城壁が築かれることになります。

しかし、

このことを不服に思い、兄への不満と怒りをつのらせた
弟レムスは、

兄のことを嘲笑いながら
新たに築かれたばかりの城壁の上を軽々と飛び越えて見せて

自分たちの手で大事に作り上げてきたはずの
新たな都市の姿を侮辱してしまいます。

こうしたレムスの行為に激しい憤りをおぼえた
ロムルスは、

ついに、レムスに対して決闘を挑み、
力によって、兄弟の間の争いに終止符を打つ決意を固めます。

そして、

死闘の末、
兄ロムスルは弟レムスを自らの手によって打ち殺し、

以降、この城壁を越えようとする者は、みな同じ目にあうであろう。」

という言葉を残したとされています。

この城壁を越えることは、自らの肉親である弟ですら
許されなかったのだから、

レムスの血を吸ってさらに強固となった城壁は、
以降、その他の何者によっても破られることはないだろうと
宣言したということです。

そして実際、その後、
紀元後476年にローマ帝国が滅亡するまでの
1200年間にわたって、

このパラティヌスの城壁は、ローマの都を
外部から攻め寄せる異民族たちから守り続けることになるのです。

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ロムルスのローマ王即位と七つの丘の上の建国

そして、

レムスの亡骸を抱え、自らの手で弟を
彼が開拓したアウェンティヌスの丘に埋葬した
ロムルスは、

紀元前753年の4月21日に
新しい都市の正式な王として即位し、

この都市は、王ロムルスの名にちなんで、
ローマと名づけられることになります。

そして、

ロムルスの手によって最初の城壁が築かれた
パラティヌスの丘を中心として、

そのすぐ西にアウェンティヌスの丘
北にカピトリヌスの丘

東には、エスクイリヌスカエリウスの丘
さらに北には、クイリナリスウィミナリスの丘

という

ティベル川(Tiber、ラテン語ではティベリス川(Tiberis ))東岸の
七つの丘から成る土地の上に、
都市国家ローマが建設されることになるのです。

ローマの七つの丘と周辺部族・都市との位置関係、アウェンティヌス、カピトリヌス、カエリウス、エスクイリヌス、パラティヌス、クイリナリス、ウィミナリスのローマ七丘とエトルリア人とサビニ人およびラウィニウムとアルバ・ロンガ

カピトリヌスの丘の上の牝狼の銅像

ちなみに、

ロムルスとレムスの二人の兄弟が
新しい都市の支配権を巡って互いに争い

それぞれがその上に自らの理想の町を築こうとした
パラティヌスの丘とアウェンティヌスの丘から
ティベル川を北へと見渡した視線のすぐ先にある

カピトリヌスの丘Capitolinus、イタリア語ではカピトリーノ (Capitolino))
の上には、そののち、紀元前6世紀~紀元前5世紀頃になると、

双子の兄弟の育ての母であり、
ローマ建国の象徴である
牝狼の銅像が建てられることになります。

この青銅製の牝狼の立像は、ローマ市民に
カピトリーノの牝狼」として長く親しまれることとなりますが、

その像は、現在でもこの地にある
カピトリーノ美術館Musei Capitolini)の中に展示されていて
王政ローマ時代のローマ市内の姿をその内にとどめています。

・・・

ローマ建国神話の時代から王政ローマの歴史時代へ

以上のように、

紀元前753年の4月21日に
ロムルスRomulus)がローマ王として即位することによって、
王政ローマの時代が始まり、

この日が正式なローマの建国の日
とされることになるのですが、

それは、

トロイアの英雄アエネアスの伝説にはじまった物語が
シルウィウス家による聖都アルバ・ロンガの統治を経て、

ローマの建国者とされる
ロムルスとレムスの双子の兄弟の物語へとつながり、

ここに、古代ローマ建国の物語が完結することを
意味することにもなります。

そして、

古代ローマ建国史において、
女神ユーノー軍神マルスが登場する
神話の時代は終わりを告げ、

実際の政治や戦争の記録が数多く残り、
ローマが王政から共和政、そして世界帝国へと
現実において発展していく
ローマの壮大な歴史時代がその幕開けを迎えることとなるのです。

・・・

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このシリーズの前回記事:
ロムルスとレムスの聖都アルバ・ロンガ奪還、古代ローマ建国史③

このシリーズの次回記事:サビニ人との融合と「傲慢王」タルクィニウス・スペルブスの治世、古代ローマ建国史⑤

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