古代オリンピックの長距離走におけるラダスの死と古代ギリシアにおけるミュロンの彫刻
前回までの一連の記事で書いてきたように、現代のオリンピックにおけるマラソン競技の起源となった古代ギリシアのマラトンの戦いにおけるアテネの使者であったフェイディピデスの力走の物語においては、
この物語の主役にあたるフェイディピデスは、マラトンの戦いでのギリシア軍の勝利を告げ知らせる長距離走の旅のゴール地点にあたるアテネへと到着した直後に絶命してしまうことになるのですが、
そうした古代ギリシアにおいて開催されていたオリンピアの祭典を中心とする古代のオリンピックにおいても、
長距離を走り抜けていくという実際の競走競技のなかで、ゴールの直後に選手が死んでしまうという悲劇についての記録を見いだしていくことができると考えられることになります。
古代オリンピックの長距離走におけるラダスの死の悲劇
ギリシアの古代都市であったオリンピアにおいて開催されていた古代のオリンピックにおいては、
42.195kmの距離を走り抜けていくという現代のオリンピックにおけるマラソン競技に相当するような競技は行われていなかったと考えられることになるのですが、
その代わりに、こうした古代のオリンピックにおいては、現在の4000m走または5000m走に近い長距離走にあたるような競走競技として、ドリコス走と呼ばれる競技が行われることになっていたと考えられることになります。
そして、
紀元前440年に行われた古代オリンピックの第85回大会のドリコス走においては、アルゴスまたはスパルタの出身として伝えられているラダス(Λάδας)という人物の名が優勝者の名前として記録に残されていて、
彼は、古代ギリシアの詩人たちによって、ラダスはただ走るのではなく飛ぶように走ると讃えられたギリシア随一の俊足の持ち主として知られていたのですが、
そうした俊足のラダスは、冒頭で述べたマラソン競技の起源となった紀元前490年のマラトンの戦いが行われてからちょうど50年後にあたる紀元前440年に行われたこうした古代オリンピックの長距離走にあたるドリコス走の競技において、
ゴール地点へとたどりついた瞬間に、激しい疲労のために意識を失ってその場に倒れ込んでしまい、そのまま意識を取り戻すことなく命を落とすことになってしまったと語り伝えられているのです。
古代ギリシアにおけるミュロンの彫刻とラダスの死
そして、
こうした古代オリンピックの長距離走のランナーであったラダスの悲劇は、彼が自らの命を投げ打ってまで示した勝利への強い意志と共に、古代ギリシアの人々の心に長くとどめられていくことになっていったと考えられ、
ラダスと同時代を生きていたと考えられる紀元前5世紀の古代ギリシアの彫刻家であったミュロン(Μύρων)は、
オリンピックにおける円盤投げの競技者が円盤を投げようとする瞬間を躍動的にとらえた『ディスコボロス』(円盤を投げる人)と題されている彼の代表作として伝えられている作品のほかに、
現在ではその作品の姿はもはや残されていないものの、競技場をつま先だけで飛ぶように疾走したとも伝えられている駿足の競走者であった前述したアルゴスのラダスのことを描いた『ラダス』と題された彫刻もつくり上げていたと語り伝えられているのです。
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