古代中国の歴代王朝における儒教の位置づけのあり方の違い①秦の始皇帝による焚書坑儒と前漢の武帝による儒教の官学化
儒教とは、紀元前5世紀頃の古代中国の春秋時代の思想家である孔子によって唱えられた仁・義・礼・智・信といった徳を重視し、
堯や舜といった古代中国の伝説上の聖君による古(いにしえ)の統治のあり方を理想としたうえで、父子、君臣、長幼といった人間同士の上下関係の秩序を重んじる道徳思想のことを意味する言葉ですが、
こうした儒教の始祖である孔子が生きていた春秋時代とその後の戦国時代における諸国の分裂状態にあった中国を初めて統一した秦や、その後の漢王朝といった古代中国の歴代王朝においては、時代の流れに応じていく形で、
それぞれの国家の内における儒教の位置づけのあり方に、大きな違いが生じていくことになったと考えられることになります。
秦の始皇帝による焚書坑儒と前漢の武帝による儒教の官学化
まず、
華北と華南を含む中国全土を初めて統一した王朝である秦においては、
秦によって新たな統一がもたらされる以前に存在した周などの古の王朝を模範とする儒教を信奉する儒家たちは、旧態依然とした政治体制を擁護して始皇帝による政治改革を拒もうとする守旧勢力として位置づけられたうえで、
焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)と呼ばれるように、
医学や占術、農業書といった実用書以外の儒学を含む民間の書物は焼き捨てられるという形で思想統制が進められていくと同時に、始皇帝による統治に異を唱える儒家を中心とする学者たちは生き埋めの刑に処されてしまうことになります。
このように、
始皇帝の時代の秦においては、
儒教の思想は、始皇帝による新しい統治のあり方に異を唱え、国の統治を乱す思想として弾圧の対象とされていくことになったと考えられることになるのです。
それに対して、
秦が滅亡した後に、高祖となる劉邦によって建国された漢帝国の前半期、すなわち、前漢においては、
漢王朝による支配が長く続いていくなかで、君臣の序といった既存の上下関係を重視し、古くから続く既存の秩序や規範に従うことを良しとする儒教思想のあり方は、
代々続く世襲による皇位継承の正当性を根拠づけ、ひいては王朝における統治のあり方を安定させることへとつながる政治思想として次第に重視されるようになっていきます。
そして、
前漢の全盛期を築いた第7代皇帝である武帝の時代には、前漢の時代を代表する儒学者であった董仲舒(とうちゅうじょ)の働きによって、儒学は官学として位置づけられていくことになり、
儒教を中心とする学問の育成と教養ある人材の登用が進められていったうえで、そうした儒教の規範に従う形で、既存の政治秩序に従い皇帝に対して忠節を尽くす臣下の育成とそれに伴った官僚制度の整備による中央集権体制の強化がはかられていくことになった考えられることになるのです。
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以上のように、
秦の始皇帝の時代から、その次の漢王朝へと続く古代中国の王朝による支配の移り変わりにおいては、
王朝内部における儒教の位置づけのあり方や、儒教と政権との関わりのあり方に、時代の流れに応じて大きな違いが見られていくことになり、
秦の始皇帝の時代においては、古の王朝の政治体制を模範とする儒教の教義は、始皇帝による新たな統治のあり方に異を唱える思想として弾圧の対象とされていたのに対して、
その次の前漢の時代においては、そうした古くから続く既存の秩序や規範に従うことを良しとする儒教思想のあり方が長く続く王朝による統治の正当性を根拠づけ、治世の安定化をもたらす道徳思想として重視されることによって、
むしろ、儒学は王朝における学問や政治体制の基盤となる官学として位置づけられていくことになったと考えられることになります。
つまり、
秦の始皇帝の時代から漢王朝へと続く古代中国の歴代王朝における儒教の位置づけのあり方の違いとしては、まず第一に、
秦の時代においては、皇帝の新たな権威に異を唱える守旧勢力として、儒教と政権との関係は互いに互いを否定し合う敵対関係にあったと考えられることになるのですが、
それに対して、その後の
漢の時代においては、すでに長く続いてきた漢王朝の権威を擁護し、皇位継承の正当性と統治の安定性を高める道徳思想として、儒教と政権との関係は互いに互いを擁護して強め合う互恵的関係へと変化していったという点が挙げられることになると考えられることになるのです。
そして、さらに、
こうした儒教と古代中国における歴代王朝との関係は、その後の王莽による帝位の簒奪と新の建国、その次の後漢としての漢王朝の再興の時代において、さらなる変遷をとげていくことになると考えられることになります。
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