ゴルギアスの『ヘレネ頌』における美女ヘレネのための三つの弁明①古代ギリシア社会におけるヘレネの悪評の由来
ゴルギアスは、彼自身の著作の内の一つである『ヘレネ頌』において、
ギリシア神話の中で世界一の絶世の美女とされるヘレネに対して帰されている罪や悪評についての弁明を試みていきます。
『ヘレネ頌』の「頌(しょう)」とは、その人物のことをほめたたえる詩文や演説のことを意味する言葉ですが、
こうした言葉の意味とは反対に、
当時のギリシア社会において、
ギリシア神話の登場人物である美女ヘレネは、
その美貌と共に、夫を裏切り、国家に災いをもたらす疫病神のような不義の女という悪評でも有名となっていました。
ゴルギアスは、こうした世間一般のヘレネに対する悪評に対して、彼女を擁護し、
人々が彼女に罪や落ち度があるとして非難しているすべてのことについて、なんら彼女に咎があるわけではなく、彼女はまったくの無実であることを三つの論証を用いることによって弁明していくことになるのです。
古代ギリシア社会における美女ヘレネに対する悪評の由来
ギリシア神話における美女ヘレネ(Helene)は、
古代ギリシアのスパルタ王メネラオス(Menelaos)の妻であり、
女神たちを除く、地上の世界では最も美しい絶世の美女として有名でした。
ところが、
ヘレネと同様に、当代一の美男子と謳われたトロイアの王子パリス(Paris)が
三美神の審判においてアフロディテ(ヴィーナス)を最も美しい女神に選んだ対価として、この世で一番の美女を得ることを約束されると、
ヘレネは、王子パリスの訪問を受けた際に、彼の姿に魅了され、
夫であるメネラオスも娘のヘルミオネも捨てて、パリスと共に駆け落ちするような形でトロイアの国まで連れ立たれてしまうことになります。
これに対して、
自分の妻を奪われたことに激怒したスパルタ王メネラオスは、
その兄であるミケーネ王アガメムノンやその他のギリシア諸国の王や英雄たちと共に、ヘレネ奪還とパリスへの報復のため、トロイアへと大軍で攻め寄せていくことになり、
ここに、十年間におも及ぶトロイアとギリシア諸国との間の全面戦争である
トロイア戦争が始まることになります。
この戦争は、ギリシアの英雄アキレウスやトロイアの英雄ヘクトル、そして王子パリス自身の戦死を含むトロイア軍とギリシア軍の双方に多大な犠牲者を出した末に、トロイアの滅亡という形でその終焉を迎えることになるのですが、
このように、
スパルタの王妃ヘレネとトロイアの王子パリスとの間の略奪愛に始まった両国の間のいさかいは、最終的に、トロイア滅亡という国家規模の惨劇にまでエスカレートしていってしまうことになるのです。
以上のようないきさつから、
美女ヘレネは、スパルタ王の妻でありながら、
夫も子供も捨てて、異国の王子のもとへとはしった不義不貞の女であり、
自らの家庭の崩壊を招くばかりか、ギリシアの国々に争いと戦乱をもたらし、
トロイアという一つの国家を破滅へと導いた悪女というそしりを受けることになります。
そして、
こうした悪評が古代ギリシア社会の内に一般常識として定着していくことになり、
トロイア戦争の原因とトロイア滅亡の責任が彼女へと押しつけられていくことになるのです。
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そして、
ゴルギアスは、自らの弁論術と言論の力を
古代ギリシアの人々へと広く演示していくために、
古代ギリシア社会において一般的な理解となっていた
ヘレネに対する悪評を覆すための弁明を『ヘレネ頌』において行っていくことになるのですが、
その中でも、詳しくは次回に述べるヘレネの弁明のための三つの論証が説得力のある議論として挙げられることになります。
ゴルギアスは、神々の定めた運命と、暴力、
そして、人の心を惑わす愛の力という三つの観点から、
ヘレネへと帰せられたあらゆる罪と咎と責任のすべてを拭い去る
力強い弁明を行っていくことになるのです。
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このシリーズの前回記事:ゴルギアスの思想の概要
このシリーズの次回記事:ゴルギアスの『ヘレネ頌』における美女ヘレネのための三つの弁明②運命・暴力・愛による三段階の論証の流れ
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