自らの内に無限の部分を有する万能の種、アナクサゴラスのスペルマタ(種子)と原子論における粒子の違い②
前回考えたように、
アナクサゴラスの哲学思想においては、
世界がどのような要素から構成されているのか?という
万物の始原(arche、アルケー、元となるもの)についての問いにおいて、
分割不可能な究極の粒子などは存在せず、
物体はどこまでも限りなく分割していくことが可能であるという結論が得られることになります。
そして、
こうした物体の無限分割可能性を前提として、
世界全体は、無限に分割されていく無限の数の要素から成り立っていると捉えられることになるのですが、
そうした世界全体を構成している無限の数の要素として
スペルマタ(spermata、種子)というアナクサゴラス哲学における独自の概念が導入されることになります。
無限の部分を有する混合体としてのスペルマタ(種子)
では、こうしたアナクサゴラスにおけるスペルマタ(種子)とは、
具体的にはどのような存在なのか?というと、
それは、原子のような分割不可能な究極の粒子、究極で単一の構成要素ではない以上、
様々な要素を自らの内に含み持つ一種の混合体として捉えられることになります。
しかも、
物体の無限分割が可能とされている以上、
物体の一部分を成しているスペルマタ(種子)自体も
さらに無限に分割していくことが可能ということになるので、
それは、無限の要素へとどこまでも分解していくことが可能な
無限の部分を自らの内に含み持つ存在として捉えられることになるのです。
つまり、
スペルマタ(種子)とは、
万物を構成する基本素材として、個々の事物の性質を担う存在でありながら、
それ自身も無限の部分を自らの内に含み持つ混合体として捉えられるということです。
したがって、より正確に言うならば、
アナクサゴラスにおけるスペルマタ(種子)の概念は、
万物の始原となる根源的な要素というよりは、
むしろ、物体の無限分割可能性を許容するために導入された
副次的な要素としての意味合いが強い概念ということになります。
すべてが渾然一体となった宇宙全体の縮図としての万能の種
アナクサゴラスにおいては、
はじめにすべての存在が渾然一体となった無限なる宇宙の原初状態があり、
そこから分かれ出でるようにしてあらゆる事物が形成されていったと考えられることになるのですが、
このように、
事柄の成立の順番としては、
すべてが渾然一体となった無限分割可能な宇宙全体の存在の方が
万物の始原として先に在り、
そこから徐々に、事物同士が互いに分離していく中で、
そうした個々の事物における主要な性質を担う存在として、事物を形成している基本素材となるスペルマタ(種子)が互いに分かれ出でるようにして現れていったと考えられることになるのです。
そして、
無限なるものをいくら細かい部分に分割しても、
その部分の一つ一つはやはり無限のものになってしまうので、
無限分割可能な宇宙の一部分であるスペルマタ(種子)もまた、
無限分割が可能な無限の部分を自らの内に含み持つ存在として捉えられることになります。
そしてさらに、
宇宙全体がすべてが渾然一体となった
あらゆるものへと分かれ出でていく可能性を持った
万能の存在であるように、
その一部分であるスペルマタもまた、そうした宇宙全体の縮図として、
あらゆるものへとなり得る、あらゆるものへの変化の可能性を有する
万能の種として存在していると考えられることになるのです。
要素同士の比率の差に基づく事物とスペルマタの種類の区別
また、
宇宙全体が無限分割可能であり、
量においても種類においても限りなく多い要素の混合体として成り立っている以上、
その一部分であるスペルマタ(種子)も、やはり、
そうした無限の数の要素の混合体として存在していることになるのですが、
すべてのスペルマタ(種子)が、量においても種類においても同様に
無限の数の要素を自らの内に含み持っているということは、
個々のスペルマタ(種子)の種類は、そうした自らの内に含み持つ
要素の数や種類によっては互いに区別できないということになります。
それでは、
アナクサゴラスにおいて、事物を構成する基本素材となる
スペルマタ(種子)の種類の区別は、いったいどのようにしてもたらされることになるのか?ということですが、
それは、スペルマタを構成している要素の数や種類ではなく、それぞれのスペルマタが有する各要素同士の比率の差によってもたらされることになります。
例えば、
金を構成するスペルマタ(種子)が麦を構成するスペルマタ(種子)から区別されるのは、それぞれのスペルマタが金だけ、または、麦だけの要素から成っているからというわけではなく、
双方のスペルマタは共に、金の要素も麦の要素も両方持っているのですが、
金を構成するスペルマタには麦の要素よりも
金の要素の方が比率として多くあり、
反対に、麦を構成するスペルマタには
麦の要素の方が比率として多く存在するというように、
それぞれのスペルマタ(種子)が有する要素同士の比率の差によって、
金や麦といった事物同士、スペルマタ(種子)同士の区別が成立すると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
アナクサゴラスの哲学思想におけるスペルマタ(種子)は、
万物を構成する基本素材でありながら、
それ自身も無限の部分を自らの内に含み持つ混合体であり、
すべてが渾然一体となった宇宙全体の縮図として
あらゆるものへの変化の可能性を有する万能の種のような存在として
捉えられることになります。
そして、
ちょうど、植物の種子が
それ自体は、黒っぽく地味で小さい単一の粒子のような存在でありながら、
将来、様々な形状を持った茎や葉、色とりどりの花、多彩な味を持つ実へと変化していくという植物全体が有するあらゆる要素を自らの内に予め含み持っているように、
いわば、宇宙の種子であるとも言えるアナクサゴラスのスペルマタも、
それ自身は微小で一見すると単一の微粒子のようでありながら、
宇宙に存在するあらゆるものへと変化しうる無限の要素を
自らの内に含み持った存在であると考えられることになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:分割不可能な究極の粒子と無限分割への無限後退、アナクサゴラスのスペルマタ(種子)と原子論における粒子の違い①
このシリーズの次回記事:同質部分体(タ・ホモイオメレー)とは何か?スペルマタ(種子)からクレーマ(事物)へと至る三段階の秩序構造
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