空虚(ケノン)から原子論(アトミズム)へ①メリッソスにおける真なる存在の充実性と不動性

パルメニデスの存在の哲学を継承した
メリッソスは、

あるもの」(to eonト・エオン、真に存在するもの)の
充実性論証において、

空虚kenonケノンの概念を導入し、

その概念によって、「あるもの」の
不動性をも論証するという形で論理展開が進められていくことになりますが、

同じ空虚ケノン)の概念が、

レウキッポスの原子論においては、

存在の運動性を支える議論として捉え直されることになります。

つまり、

メリッソスにおいては、

空虚の概念によって、
運動の概念自体が否定されたのに対して、

レウキッポスにおいては、

同じ空虚の概念によって、
運動の概念が肯定されるという

論理の逆転現象が起きているということです。

そこで、今回と次回の二回にわたって、

どうして空虚ケノンの概念に関するこのような
論理の転倒現象が起きてしまったのか?

という問題について考えてみたいと思います。

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メリッソスにおける「あるもの」の充実性論証

「あるもの」(ト・エオン)すなわち、真に存在するものにおける
多数性運動性を否定する

エレア学派の哲学者であるメリッソスは、

エレア学派の創始者であるパルメニデスの存在の哲学
さらに論理的整合性の高い哲学体系へと整備し、

「あるもの」すなわち、真に存在するものの
充実性不動性を論証していくなかで、

以下のような議論を展開します。

「あるもの」とは、
それ自身が、存在によって満たされているがゆえに、
「あるもの」すなわち、真に存在するものと呼ばれると考えられますが、

もし、「あるもの」の
全体存在によって満たされていないとするならば、

それは、「あるもの」の内に、

空虚kenonケノン)が含まれるということになります。

しかし、

空虚とは、それがいかなる存在でもないもの、すなわち、
非存在であるがゆえに、空虚と呼ばれるので、

「あるもの」の内に非存在である空虚があるとすると、それは、
存在の内に非存在があるということになります。

ここからは、

パルメニデスの哲学における
あるの道」と「あらぬの道
同様の議論ということになるのですが、

空虚という非存在が存在の内にあるということは、
非存在が同時に存在でもあるということになり、

それは、つまり、

存在しないはずものが同時に存在してもいるという
大きな矛盾が生じてしまうことになります。

それゆえ、論理必然的に、

真に存在するものである「あるもの」の内には、
非存在である空虚は含まれないことになり、

「あるもの」は、その全体が存在によって満たされているという意味において、
完全に充実しているということになるのです。

以上のようにして、

メリッソスにおける
「あるもの」、すなわち真に存在するものの
充実性論証が完成することになります。

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メリッソスにおける「あるもの」の不動性論証

そして、さらにメリッソスは、

この空虚ケノンの概念を手掛かりとして、

「あるもの」の不動性論証、すなわち、運動を否定する議論へと
論理展開を進めていくことになります。

運動とは、
存在がその位置を移動することを指す概念ですが、

メリッソスは、まず、

存在が位置を移動するためには、

移動する先に、
何もない空間や場所としての空虚が必要となる

と主張します。

つまり、

運動、すなわち、存在の位置の移動は、

以前には、存在がなく空虚だった場所が、
移動してきた存在によって新たに満たされることによって
成立するということです。

しかし、

前章で述べたように、

空虚とは、すなわち、非存在であり、
非存在は、いかなる意味でも存在することができないので、

「あるもの」が移動しようとする先である
何もない空間や場所としての空虚自体も存在しないことなり、

運動が成立する前提となっている
空虚自体が存在しない以上、

真なる存在である「あるもの」においては、
位置の移動も、運動不可能ということになります。

したがって、

空虚の概念を手掛かりとした論理展開によって、
運動という概念自体が否定されるという

「あるもの」、すなわち真に存在するものの
不動性論証が完成することになるのです。

・・・

以上のように、今回は、

エレア学派の哲学者メリッソスにおいて、
いかにして、空虚ケノンという概念が導入され、

その概念によって、いかにして、真なる存在としての「あるもの」の
充実性不動性が論証されるのか?

という議論を詳しく見てきたわけですが、

次回は、その同じ空虚ケノンの概念が、

原子論の創始者レウキッポスにおいては、

どのようにして、不動性とは正反対である、
存在の運動性を支える議論へと転用されていったのか?

ということについて考えてみたいと思います。

・・・

このシリーズの次回記事:空虚(ケノン)から原子論(アトミズム)へ②レウキッポスにおける原子の運動の場の理論

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