十三夜の由来は?いつお月見するの?何をお供えすればいい?

お月見といえば、9月の「中秋の名月」ですが、
実は、お月見は、もう一回あります。

それが10月のお月見、「十三夜(じゅうさんや)」です。

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十三夜っていつのこと?なぜお月見をするの?

十三夜」とは、本来は「十五夜」の2日前の夜のことですから、
毎月のようにあるわけです。

しかし、狭義では、
9月の「十五夜」の後に巡ってくる「十三夜」のことをいい、

旧暦(太陰太陽暦)の9月13日の夜のことをいいます。

旧暦の9月13日は、新暦では10月になります。

10月の「十三夜」の月は、
9月の「十五夜」の月に次いで美しい月だといわれ、
昔からお月見がおこなわれていました。

9月の「十五夜」の後の名月なので、「(のち)の月」ともいわれます。

十三夜も十五夜と同じで、その年によって日付が変化します。

早い年で新暦の10月の上旬(2014年が10月6日)に、
遅い年だと新暦の11月上旬(2017年が11月1日)になることがあります。

旧暦では、暦と実際の季節のズレを調整するために、
約19年に7回の割合で、閏月(うるうづき、正しくは「じゅんげつ」と読みます)として1か月を加えていたので、
閏月がある年は1年が13か月になりました。

2014年は、9月と10月の間に閏9月が挿入されたので、
旧暦の9月13日の夜、つまり「十三夜が2度ありました。

この場合、閏月の方の十三夜は「(のち)の十三夜」と呼ばれていて、
171年ぶりの「後の十三夜」の出現でした。

ちなみに、前回の「後の十三夜」は、1843年(天保14年)のことで、
時の老中、水野忠邦が、「後の十三夜」のある閏9月に罷免されています。

十三夜のお月見っていつ頃からおこなわれているの?

そもそも、「十五夜」は、中国から伝わってきた風習だとされていますが、

十三夜」の方は、日本独自のものだといわれています。

十三夜の最古の記録を調べてみると、

平安時代の前期(919年、延喜19年)に、
「延喜十九年九月十三日に賀せしめ給ふ題に
月にのりてささら水をもてあそぶ。」
という記述が、『躬恒集』の中にあります。

また、同じ『躬恒集』の中には、
寛平(かんぴょう)法皇(宇多天皇の出家後の呼び名)が、
9月13日の月を見て、「今宵の名月は無双である」と仰せられたので、
醍醐天皇が先帝のために月の宴を催した、という記録もあり、

平安時代の前期には、すでに「十三夜の月を鑑賞することが、
日本独自の風習として確立していた、ということができるでしょう。

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お月見は十五夜と十三夜のどちらの方がいいの?

十五夜十三夜では、どちらがお月見にふさわしい月なのか、と問われれば、
どちらの月も、両方セットでお月見するのが適している、と答えるのがいいのでしょう。

どちらか一方のお月見しかしないことを「片月見」または「片見月」といって、
あまり、縁起がよくないとされることもあるからです。

江戸時代の遊郭では、見込みのある客を十五夜に誘うことで、
十三夜にも来なければならなくするために、
「片月見」・「片見月」は遊女に嫌われる、と言っていたそうです。

十三夜のお月見には何をそなえたらいいの?

十五夜のお月見には、月見だんごが供えられましたが、
十三夜のお月見にも、月見だんごをお供えします。

違うのはお供えするだんごの数で、
十五夜は15個十三夜は13個とされています。

ただ、その年の旧暦の月の数を供える、という考えい方もあるので、
その場合は、平年なら12個、閏月がある年なら13個、ということになります。

十五夜のお月見には、月見だんごの他に、
里芋やサツマイモなどの芋類がお供えされたので、
「芋名月」とも呼ばれましたが、

十三夜のお月見には、ちょうどその時期に食べごろの
枝豆や栗が供えられたので、
豆名月(まめめいげつ)」とも「栗名月(くりめいげつ)」ともいわれます。

枝豆は、成長途中の大豆のことですが、
ビールのおつまみとしても、人気がありますよね。

新暦の10月ですと、外はちょっと寒い季節になりつつありますが、
そこは、お月見ですから、我慢して、

春の「花見で一杯」に負けぬように、
秋は「月見で一杯」といきたいですね。

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