彼岸の期間はいつからいつまでなのか?現代の暦の日付における春と秋の彼岸の具体的な期間と二十四節気の春分と秋分との関係

「暑さ寒さも彼岸まで」といった言葉で有名な彼岸(ひがん)とは、日本古来の暦の区分のあり方においては、季節の変化の目安とされている雑節(ざっせつ)と呼ばれる特定の期間のうちの一つにあたり、

具体的には、一年における太陽の運行のあり方を基準として定められた二十四節気と呼ばれる日本古来の暦の区分のあり方のうちの

春分秋分と呼ばれる日とその前後3日ずつの期間を合わせた、春の季節秋の季節7日間ずつの期間が、そうした彼岸と呼ばれる雑節の期間として位置づけられることになると考えられることになります。

それでは、

こうした彼岸の期間は、現代の暦の日付においては、正確には、いつからいつまでの時期にあたると考えられ、

それは、二十四節気と呼ばれる日本古来の暦の区分における雑節の配置のあり方においては、より具体的にはどのような期間として位置づけられていると考えられることになるのでしょうか?

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二十四節気における春と秋の彼岸の配置と春分と秋分の日との関係

二十四節気における春と秋の彼岸の配置と春分と秋分の日との関係

そうすると、まず、上記の図において示したように、

こうした彼岸と呼ばれる雑節の期間は、二十四節気における暦の区分のなかでは、春と秋という二つの季節における、それぞれの季節の中心にあたる期間として位置づけられていると考えられることになります。

そして、天文学的な意味においては、

こうした彼岸の期間の中心として位置づけられている春分秋分と呼ばれる二つの暦の地点は、黄経0春分点と、黄経180秋分点の位置を通過する日として位置づけられていて、

そうした春分と秋分の日は、地球から見た太陽の運行において、太陽が真東から昇って真西へと沈んでいくように観測されることによって、一日における昼と夜の長さがほぼ等しくなる日としても位置づけられることになると考えられることになります。

つまり、そういった意味では、

こうした春分と秋分の日を中心とする彼岸の期間は、太陽が真東から昇って真西へと沈んでいくように観測されて、一日における昼と夜の長さがほぼ等しくなり、

この期間を境として春の彼岸の場合は季節が春から夏へと向かってどんどん日が長くなっていき、それに対して、秋の彼岸の場合は季節が秋から冬へと向かってどんどん日が短くなっていくといように、

春と秋というそれぞれの季節の中心にあたる期間として位置づけられることになると考えられることになるのです。

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現代の暦の日付における春と秋の彼岸の具体的な期間と閏年などの影響による日付のずれ

それでは、

こうした春と秋という二つの季節において、太陽が真東から昇って真西へと沈んでいくように観測されて、一日における昼と夜の長さがほぼ等しくなる期間にあたる彼岸の期間は、

現代の暦の日付においては、具体的にいつからいつまでの期間として位置づけられることになるのか?ということについてですが、

それについては、

こうした春と秋の彼岸の期間の中心として位置づけられている二十四節気の暦の区分における春分秋分の日が、現代の暦の日付においては、それぞれ、

春分は、現在の暦の日付では321ごろ、
秋分は、現在の暦の日付では923ごろ

にあたる日として位置づけられることになるため、それに対応して、こうした春分秋分というそれぞれの日を中心とする7日間にあたる春と秋の彼岸の期間は、

春の彼岸の期間は、現在の暦の日付では318日から324ごろまでの期間、
秋の彼岸の期間は、現在の暦の日付では920日から926ごろまでの期間

として位置づけられることになると考えられることになります。

ただし、その一方で、

こうした春分秋分といった節気、あるいは、土用彼岸などといった雑節の日付や期間は、それぞれの年ごとの閏年の入れられ方の違いによって基準となる日時が実際の暦のなかでは前後に1日ほどずれていってしまうことがあるため、

厳密な意味においては、

上述した現代の暦の日付における彼岸の期間は、それぞれの期間の始まりの日終わりの日のそれぞれが、だいたい1日から2ほど前後に移動していってしまうケースがあるとも考えられることになるのです。

・・・

次回記事:彼岸とは何か?サンスクリット語と仏教思想における由来と西方浄土や日想観の思想と暦の区分としての彼岸という言葉の関係

前回記事:土用の期間が18日間である理由とは?陰陽五行説に基づく土用の期間と一年における春夏秋冬の領域との関係

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