平気法と定気法の問題点と天文学的により正確な節気の配置のあり方、天保暦において平気法ではなく定気法が採用された理由
前回の記事で書いたように、定気法と呼ばれる二十四節気の配置のあり方においては、
それぞれの節気の間の日数は、約14日から約16日の日数の間で変化していってしまうことになるため、
すべての節気の間の日数が約15日に定まっている平気法の場合と比べて、節気の配置のあり方により複雑な規則が求められることになると考えられることになるのですが、
その一方で、
実際の歴史のなかで用いられてきた暦の内部における二十四節気の位置づけのあり方の変遷においては、節気の配置のために用いられてきた規則は、
より単純な規則である平気法から、より複雑な規則である定気法へと移り変わっていく形で展開していったと考えられることになります。
それでは、このように、
歴史の流れのなかで、こうした節気の間の日数が一定の日数に定まっていない一見不便でただ複雑なだけであるようにも見える定気法の方が、平気法よりも暦の内部において二十四節気を配置していくためのより適切な規則のあり方として採用されることになっていったことには、具体的にどのような理由があると考えられることになるのでしょうか?
平気法と定気法のそれぞれの問題点と天文学的により正確な節気の配置
そもそも、
冒頭でも述べたように、こうした二通りの節気の配置の規則のあり方のうちの後者にあたる定気法における不便な点や問題点としては、
定気法においては、太陽の年周軌道を空間的に均等に分割していくことによって、太陽が黄道上を15度進むごとに等間隔で節気の配置が行われていくことになるため、
地球の公転軌道が楕円軌道であることによって生じる黄道上における太陽の移動速度の変化に基づいて、節気の間の日数は、約14日から約16日の日数の間で変化していってしまうことによって、それぞれの節気の間隔が時間的に不均等になってしまうという点が挙げられることになるのですが、
それに対して、
前者の平気法においては、太陽の運行に基づく一年の長さの方が時間的に均等に分割されることで節気の間の日数が約15日に定められることによって、
今度は、それぞれの節気の間隔は均等であっても、天球上における太陽の年周軌道である黄道上における節気の配置のあり方自体が空間的に不均等になっていってしまうという点が問題点として挙げられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうした平気法においては、黄道上における節気の配置のあり方が等間隔にならないことによって、
天球上における太陽の年周軌道である黄道上の春分点や夏至点などにおける実際の太陽の位置と、暦の上での春分や夏至の日とが厳密な意味においては一致しないという事態が生じていってしまうことになると考えられることになるため、
天文学の分野における詳細な研究が進んでいった後世の時代においては、節気の配置のあり方に対して、より天文学的に正確な位置づけが求められていくことによって、
平気法よりも定気法の方が、暦の内部において二十四節気を配置していくためのより適切な規則のあり方として採用されていくようになっていったと考えられることになるのです。
江戸時代後期の天保暦における定気法の採用と現在の日本の暦における節気の配置
そして、日本国内における実際の歴史においては、
1844年に、それまでの江戸時代後期の日本において用いられてきた暦法である寛政暦(かんせいれき)が新たな暦法である天保暦(てんぽうれき)へと改められる際に、
暦法において用いられている二十四節気の配置の規則のあり方についても平気法から定気法へと改められることになったと考えられることになります。
そして、
こうした19世紀中頃における天保暦への改暦の際に、天文学的により正確な節気の配置が得られる規則である定気法が採用されたことによって、
基本的には、
こうした天保暦において定められた定気法に基づく二十四節気の配置のあり方がその後の時代においても基本的にはそのまま踏襲されていくことによって、
現在の春分の日(3月20日または3月21日)や秋分の日(9月22日または9月23日)などに代表されるような
現在の日本の暦における二十四節気の配置のあり方が定まっていくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:平気法と定気法の違いとは?節気の配置のあり方における時間的な均等性と空間的な均等性の差異と両者の具体的な特徴の違い
前回記事:定気法とは何か?「春分」を基点とした空間的に均等な節気の配置としての定義と定気法で節気の間の日数が不均等になる理由
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