ソフィストとは何か?②アテナイにおける民主制の進展とソフィスト思潮の隆盛

前回書いたように、

ソフィストたちの思想活動は、
ソクラテス以前の哲学における自然の探求から
ソクラテス以降の哲学における人間の魂の探究への哲学探究の方向性の転換期に生まれた一つの思想運動として捉えることができます。

そして、

そうした哲学史上の過渡期に位置する紀元前5世紀のアテナイは
民主制の進展がその完成期に達しつつある時代でもあり、

ソフィスト思潮の隆盛もそうしたアテナイにおける民主制の進展に伴って、
その動きに呼応するような形で進んでいくことになります。

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二つの制度と二つの戦いによるアテナイの民主制の進展

アテナイにおける民主制の進展は、
ソロンの立法クレイステネスの改革という二つの制度と、

ペルシア戦争におけるマラトンの戦いサラミスの海戦という
二つの戦いにおいて段階的に進んでいくことになります。

紀元前594年に執政官に選ばれたソロンは、
貴族と民衆の間の争いを調停するために、ソロンの立法と呼ばれる
アテナイの民主制の基盤となる法律を定め、

その中で、アテナイの国政を担う機関である民会への全市民の参加が認められることになります。

さらに、

市民は、それぞれが有する財産収入に応じて四つの階級へと分類され、
それぞれの納税額の多寡という国家への貢献度に応じて
強い政治的発言権が認められることになるのです。

そして、そのおよそ100年後、

僭主ヒッピアスをアテナイから追放したクレイステネスは、
紀元前508年クレイステネスの改革と呼ばれる一連の改革を行い、

貴族たちの権力の源となっていた民衆の血族的な区分である4つの部族ピュレー)を解体し、民衆の区分を地縁的な関係である10の区デーモス)へと再編成します。

さらに、新たな僭主の出現を阻止するために、独裁者となりそうな危険人物を市民による民主的な投票によって予め国外に追放してしまうことを可能とするオストラシズム陶片追放)と呼ばれる制度を創設することなどにより、

アテナイにおける民主化を大きく進展させていくことになるのです。

その一方、

紀元前499年から紀元前449年まで続いた
50年に渡るペルシア戦争においては、

大きく分けて4回におよぶアケメネス朝ペルシア帝国によるギリシア諸国への遠征の中で、両者の間の一進一退の攻防が繰り返されることになります。

そして、

最終的にギリシア諸国側の勝利に終わる
この長い戦争の中で、特に、

マラトンの戦いにおける重装歩兵団ホプリタイ)の勝利と、
サラミスの海戦における三段櫂船ガレー船)の勝利が
アテナイにおける民主政治の進展に大きな影響を及ぼすことになります。

紀元前490年マラトンの戦いにおける陸戦の勝利においては、

ソロンが財産収入で分けた階級の中の第三階級である農民階級にあたる人々が
などを自弁(自分で費用を負担)して重装歩兵として戦闘にあたり、

農民階級である彼らが主体となった重装歩兵団密集戦術ファランクス)によってペルシアの騎兵隊を撃破し、アテナイに勝利がもたらされることになります。

その後、

マラトンの戦いの勝利に貢献した農民階級の政治的発言力が強まるようになっていき、アテナイの人々は、自らの国の政治体制である民主制への自信を大きく深めていくことになるのです。

そしてそれに続く、

紀元前480年サラミスの海戦における海軍の勝利においては、

農民階級だけではなく、財産収入をほとんど持たない無産階級とされる人々も、
ギリシア海軍の戦艦である三段櫂船の漕ぎ手としてその勝利に貢献することとなります。

これにより、

市民における最下層である無産者までもが一定の政治的発言力を有するようになり、
アテナイにおける全階級、すなわち、
自由人である成人男子としてのアテナイの全市民が政治に参加する
アテナイにおける直接民主制の完成期が訪れることになるのです。

そして、

こうしたアテナイにおける民主政治の進展の中で、
アテナイの市民たちは、

言葉の力によって人々を引きつけ、説得し、国家を動かし、率いていく力を持った
十分な教養弁論術を持った人々を自らの手で養成していく必要性に迫られていくことになるのです。

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民主政治の成熟とソフィスト思潮の隆盛

以上のように、

ソロンの立法クレイステネスの改革という二つの制度
マラトンの戦いサラミスの海戦という二つの戦いの勝利を通じて民主政治の完成期を迎えた、政治的にも軍事的にも全盛期のアテナイにおいては、

こうした民主政治の成熟に呼応するように、
時代の要請に従って、

ソフィスト思潮sophistic movementソフィスティック・ムーブメント)と呼ばれる一種の思想運動がアテナイ市民全体も巻き込む形で展開されていくことになります。

アテナイにおける民主制の進展
哲学者との関係については、

例えば、

アテナイの全盛期を担った政治家であるペリクレス
アテナイにおける哲学研究の礎を築いた哲学者であるアナクサゴラスとの
互いの親交と、哲学における師弟関係なども一例として挙げることができます。

ちなみに、

アナクサゴラスは、その後、彼自身の自然哲学における学説が不敬神にあたるとしてアテナイ市民たちから訴追されることになるのですが、

後の時代に、同じく不敬神の罪で訴追されたソクラテスが様々ないきさつから死刑に処せられてしまったのに対して、

アナクサゴラスがラムプサコスという彼自身の故郷クラゾメナイにもほど近いギリシア人都市への追放刑という判決で済んだのは、こうしたアテナイの有力者ペリクレスとの親交が深かったことがその一因にあるとも考えられることになります。

いずれにせよ、

こうしたアナクサゴラスのアテナイへの移住のすぐ後に始まった
紀元前5世紀後半ソフィスト思潮の展開においては、

アテナイにおける民主政治の成熟に伴い、
市民一人一人が民会の場などの多くの人々の前に出て話をしても恥ずかしくないように
十分な教養弁論の技術を身につける必要に迫られるようになっていきます。

そして、

こうしたアテナイにおける民主政治の成熟期の中で、
市民の要請に応じる形で、

知恵教養、そして弁論の技術を、金銭を対価として、貴族や平民といった身分の違いに関係なく、求める者には分け隔てなく与える職業人として、

古代ヨーロッパ諸国から集まった
自分こそが最も優れた知恵と教養、弁論術を持つと自負する思想家たちが

互いの思想と弁論を自由に戦わせ、アテナイの町中を闊歩する
ソフィストたちの時代が訪れることになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
ソフィストとは何か?①自然の探求から人間の魂の探究への過渡期に位置する思想

このシリーズの次回記事:
ソフィストの語源となる言葉とソフィストが語源となる単語、ソフィストとは何か③?

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