三段論法の形式に基づく神の存在証明とは?②究極の原因としての神の存在証明、妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例⑤

前回書いたように、三段論法の形式に基づく神の存在証明のあり方の具体例の一つとしては、

すべての肯定的な要素を欠けるところなく有する完全性という神の定義から、そうした完全性を有する存在としての神は、現実の世界においても必然的に実在するということを論証しようとする形而上学的な議論が考えられることになります。

それに対して、三段論法の形式を用いた神の存在証明の議論としては、こうした完全性に基づく神の実在性の論証の議論のほかに、

世界の究極の原因である創造主としての神の定義から神の実在性を論証しようとする三段論法の形式を用いた論証のパターンも考えられることになります。

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世界の究極の原因である創造主としての神とすでに存在する別の神によって生み出された新しい神々との違い

例えば、

オリンポス十二神のなかの一柱であり太陽の化身であるともされるアポロンと、月の女神であるアルテミスは、共に、ギリシア神話における主神ゼウス女神レトとの間に生まれた双子の神であり、

主神ゼウスでさえも、古の神々であった巨神族ティターン(タイタン)を統べる宇宙の王であったクロノス大地の女神レアとの間に生まれた末の子であるとされているように、

ギリシア神話に出てくる神々の多くは、それ以前の世界においてすでに存在していた別の神によって新しく生み出された神であると考えられることになりますが、

そうした世界が成立した後にすでに存在する別の神によって生み出された神々は、たとえ神であっても、世界の究極の原因である創造主としての資格を有さないと考えられることになります。

このように、あらゆる宗教におけるすべての神々が創造主としての性質を有するとは考えることができないのですが、

それに対して、

少なくても、キリスト教における神の定義においては、例えば、新約聖書のなかにおいても、神が自らの言葉で

「わたしはアルファ(始まり)でありオメガ(終わり)である」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」第1章8節)

と語る場面が描かれているように、

キリスト教においては、全知全能である神とは、世界がはじまるための始動因であると同時に、世界がそれへと向かって終局を迎えるための目的因でもあるということが語られていると考えられることになります。

そして、

前々回の記事で考察したように、神の存在証明の議論において、実在の証明の対象となっている神の定義とは、キリスト教における神の定義にみられるような全知全能にして完全なる世界の創造主としての神の概念であると考えられることになりますが、

つまり、

こうしたキリスト教における神の概念に代表されるような神の存在証明の議論において論証の対象となる神の定義においては、

神とは、根源的な意味において世界のはじまりとなる存在、すなわち、現実の世界の内にあるすべての存在の究極の原因として定義することができると考えられることになるのです。

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究極の原因としての神の定義に基づく神の実在性の論証

それでは次に、こうした世界の究極の原因としての神の定義と、神自身の実在性の証明の議論は具体的にどのような関係にあるのか?ということについてですが、

いかなる意味においても何も存在しない本源的な無からは何も生じない、すなわち、存在の原因となるのは存在だけであって、非存在からはいかなる存在も生じないと考えられるとすると、

この世界が実際に存在する限り、そうした世界の原因となるものもまた、現実に存在していると考えられることになります。

つまり、

何らかの存在の原因となるものは、それ自身もまた現実に存在するものでなければならないと考えられるということです。

そして、いま述べたすべての原因は存在であるという命題と、先に考察した神は究極の原因であるという二つの前提となる命題からは、

以下のような三段論法の形式を用いた推論を展開することができると考えられることになります。

大前提:すべての原因存在である。
小前提:あるは世界の究極の原因である。
 結論:ゆえに、ある存在である。

そして、

上記の三段論法の推論は、24種類の妥当な三段論法の形式の記事で挙げた24通りの妥当な三段論法の形式のうちの一つである第一格AIIを用いた演繹的推論に該当することになるので、

この推論は、前提が真である限り、三段論法の形式のみによって結論も必然的に真となる演繹的推論として認めることができると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

神という存在を、根源的な意味において世界のはじまりとなる創造主、すなわち、現実の世界の内にあるすべての存在の究極の原因として定義することができるとするならば、

何らかの存在の原因となるものは、それ自身もまた現実に存在するものでなければならないと考えられる以上、

この世界が実際に存在する限り、そうした世界の究極の原因としての神もまた必然的に存在するということが

妥当な三段論法の形式を用いた演繹的推論によって形而上学的に論証されることになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:神の定義とは何か?①漢字における「鬼神」すなわち死者の魂としての神の概念

前回記事:三段論法の形式に基づく神の存在証明とは?①神の完全性に基づく実在性の論証、妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例④

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