哲学と論理学における「先験性」としてのア・プリオリという概念の意味、ア・プリオリとは何か?④
前回書いたように、もともとのラテン語の原義においては「より先にあるものによって」といった意味を表す言葉であったア・プリオリ(a priori)という概念は、
通常の場合、生物学や医学といった自然科学の分野においては「先天的」、心理学や文学といった人文科学の分野ににおいては「生得的」といった意味を持つ概念として解釈することができると考えられることになります。
それでは、こうしたア・プリオリという概念が最も重要な役割を担うこととになる哲学や論理学、認識論といった分野においては、
ア・プリオリや、その対義語であるア・ポステリオリという概念は、それぞれどのような意味をもつ概念として解釈することができると考えられることになるのでしょうか?
哲学や論理学の分野における「先験性」としてのア・プリオリの概念
前回書いたように、
生物学や医学、あるいは、心理学や文学といった一般的な学問分野においては、ア・プリオリやア・ポステリオリといった言葉は、
生物における肉体の状態や、人間の精神の状態についての時間的な前後関係を表す言葉として用いられていると考えられることになり、
より具体的には、それぞれの学問分野が扱う対象のあり方に応じて、ア・プリオリとア・ポステリオリという二つの概念はそれぞれ、
生物学や医学といった学問分野においては「先天的」と「後天的」、心理学や文学の分野においては「生得的」と「経験的」といった意味を表す言葉として解釈することができると考えられることになります。
それに対して、
人間の知性における普遍的な認識のあり方や、論理的な働きのあり方を問題とする哲学や論理学といった学問分野においては、
もはや、物理的な構造を持った存在としての肉体の状態や、現実の世界の内に位置づけられる存在としての個々の人間の心の状態などは、探究の対象からは捨象されてしまうことになり、
そこでは、人間の知性や論理がどのような仕組みから成り立っていて、それは、それぞれの要素がどのような順序で機能することによって成立しているのか?という、より抽象的で形式的な次元における問題が探究の対象となると考えられることになります。
つまり、
哲学や論理学、特にその中でも、人間の認識の形式や構造のあり方について探究する認識論といった学問分野においては、
ア・プリオリとア・ポステリオリという二つの対となる言葉は、現実の世界の内における時間の流れの中で、どちらがより以前に生じていて、どちらがその後に続くのかという時間的な前後関係ではなく、
人間の認識における論理や知性の働きにおいて、どちらが論理的な順序として先に機能していると考えられるのか?という論理的な順序としての先後関係を表す言葉として用いられていると考えられることになるのです。
そして、一般的な理解に基づくと、
人間の認識は、まず、主体における何らかの知性の働きを前提としたうえで、そこに、感覚を通して様々な経験が与えられることによって成立していると考えられるので、
認識が成立するための論理的な順序としては、まず人間の側における何らかの知性の働きや構造が先にあり、そこに後から様々な経験が与えられることによって、あらゆる認識が成立していると考えられることになります。
したがって、哲学や論理学といった学問分野においては、
ア・ポステリオリという概念は、認識の論理的な順序において後から与えられる要素のことを表すという意味において、それは、心理学などの場合と同様に「経験的」といった意味を表す言葉として解釈されることになり、
それに対して、
ア・プリオリの方は、経験に対する時間的な先行ではなく論理的な順序として先行を意味する「先験的」といった意味を表す言葉として解釈されることになるのです。
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以上のように、
哲学や論理学、認識論といった学問分野においては、
ア・プリオリという概念は、一義的には、時間的な先行性を意味する「生得性」ではなく、人間の認識のあり方における論理的な先行性を意味する「先験性」という概念として解釈されることになります。
そして、こうした哲学や論理学における「先験性」としてのア・プリオリという概念は、特に、18世紀のドイツの哲学者であるカントにはじまるドイツ観念論哲学において重要な意味を担う概念として取り上げられていくことになるのですが、
その前に、
以上のような経緯から、哲学においては、一義的には、認識の構造における論理的な先行性を表す概念として捉えられるア・プリオリという概念について、
それを哲学という学問分野の内においても、同時に、時間的な先行性を表す「生得性」という概念としても捉えること自体は、果たして間違った解釈であると言えるのか?ということについて、もう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
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次回記事:哲学において「ア・プリオリ」を「生得的」と訳すのは間違いなのか?ア・プリオリとは何か?⑤
前回記事:心理学における「生得性」としてのア・プリオリと「経験性」としてのア・ポステリオリの意味、ア・プリオリとは何か?③
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