ファシズムの語源であるファスケスと「三本の矢」の教えとの関係とは?、ローマ人とエトルリア人の関係③
前回書いたように、
古代ローマ人がエトルリア人から受け継いだ
儀礼や儀式における様々な様式の中には、
国の権力者に付き従う護衛官たちがファスケスと呼ばれる
斧の周りに木の棒の束をくくりつけたものを担いで歩く
という慣習もあったのですが、
そもそも、
一見するとただ薪を担いでいるだけのようにも見えかねない粗末な木の棒の束が
なぜ権力者の権威の象徴として用いられるようになったのでしょうか?
古代ローマにおいてファスケスが権力の象徴とされた理由とは?
従者にファスケス(fasces)を担いで歩かせるという行為は、
正確には、普通の意味での権力者や貴族というだけではなく、
主に、国家の最高指揮権を有する
独裁官(dictator、ディクタトル)や執政官(consul、コンスル)などが
行列を従えて街路を練り歩くときに行っていた慣習なのですが、
このときに、
従者が担いでいるファスケスは、
十数本から数十本にも及ぶ数多くの細い木の棒でできていました。
そして、
ファスケスを構成する一本一本の細い木の棒は、
独裁官や執政官に付き従う役人や兵士、さらには、
ローマという国家を構成する市民の一人一人の姿を象徴していて、
細い木の棒が束になって太く力強い幹を形成するかのように、
市民の一人一人の力が合わさり、結束することによって
ローマという国家全体の絶大な力と権威の源となる
と考えられていたのです。
つまり、
ファスケスが権力者の権威の象徴とされたのは、
一本の棒だけでは簡単に折られてしまうが、
数多くの棒が一緒になった棒の束は力を込めても折ることができないように、
独裁官や執政官の指揮のもとに、
数多くの市民の力が一つに束ねられ、結束することによって、
国家の力は統一され、より強く、何者によっても打ち破られことがなくなる
という考えに由来していると考えられるということです。
そして、
こうしたファスケスが象徴する
「統一による力」(strength through unity)ないし、
「統一は力なり」(unity makes strength)という概念は、
古代ローマ帝国の滅亡後も、
その後のヨーロッパ世界に長く伝わっていくことになるのです。
「三本の矢」の教えの原型となる二つの逸話
ところで、
以上のようなファスケスの由来について考えていくと、
こうした考え方は、ちょうど日本で言うと、
いわゆる「三本の矢」の教えとして広く知られている
戦国大名の毛利元就(もうりもとなり)の教えにも
どこか通じるところがあると考えられることになります。
「三本の矢」の教えとは、
毛利元就がその臨終に際して、隆元・元春・隆景の三人の息子たちを
枕元に呼び寄せ、
最初に、一本の矢を息子たちに渡して折るように命じると、
一本の矢はすぐにたやすく折られてしまったが、
次に、三本の矢を束にして折るように命じると、
息子たちの誰も三本の矢束を折ることができなかったということから、
一本の矢では簡単に折られるが、三本の矢をまとめると容易には折れないので、
三本の矢束のように、兄弟三人で仲良く結束して毛利家を守っていってほしい
と告げ、三人の息子たちも、この教えに必ず従うことを互いに誓った
とされる逸話です。
そして、この逸話自体は、
1557年にすでに六十歳を越えていた元就が、自分の三人の息子たちに宛てて、
兄弟で一致団結して毛利家を支えていくように諭した毛利元就自筆の書状である
「三子教訓状」(さんしきょうくんじょう)の教えがもとになっていると
考えられるのですが、
この書状の中には、確かに「三人の兄弟の間に隔たりが生まれれば三人とも滅び、毛利家は滅亡してしまうだろう」といった記述はあるのですが、
兄弟の仲を矢にたとえるような話はどこにも書かれていないので、
「三本の矢」のたとえ話自体は、後世において
脚色が加えられて創り上げられた訓話であると考えられることになります。
ただ、それとは別に、
毛利元就の逸話としては、その1571年の臨終の際に、
その場に集っていた大勢の家族や家臣たちを呼び寄せて、
「一本の矢では簡単に折れるが、多数の矢を束ねると力を込めても折ることができないように、兄弟や家臣が心を一つにして堅く結束すれば国は強くなり、決して滅びることはないだろう」
といった遺訓を残したという話も伝えられているので、
こうした1557年の「三子教訓状」と1571年の元就臨終の際のエピソードという
二つの逸話が混ざり合うことによって、
明治時代まで伝わる「三本の矢」の教えの原型が
形づくられていったと考えられるのです。
後世まで伝わった「三本の矢」の教えと
元就臨終の際の別のエピソードとでは、
矢の数が「三本」と「多数」、
結束の対象となる範囲も「兄弟三人」と「国を支える大勢の人々」
というような違いがみられるわけですが、
よく考えてみると、
矢の太さや材質などにもよりますが、
竹などから作られる一般的な矢の場合、
それを少し束ねたと言ってもまだ三本くらいの矢では、
力を入れればすぐにポッキリ折れてしまうと考えられるので
やはり、
束ねられている矢のイメージは、三本などの少数ではなく、
十数本や数十本といったより多くの矢束であり、
多数の矢にたとえられた人々も、跡を継ぐ兄弟たちだけではなく、
多くの家臣団、ひいては国中の人々が一つに結束し、
一致団結して事に当たることを求める
といった意味で遺訓を残していたと考える方が
より合理的で自然であるとも考えられるように思います。
そして、
こういった意味で
いわゆる「三本の矢」の教えを解釈するとき、
その訓話が意味する内容は、
古代ローマにおける木の棒が数多く束ねられた斧である
ファスケスが指し示す概念と
ほとんど完全に一致するということになるのです。
ファシズムへの悪用と、団結と連帯の象徴としてのファスケス
そして、一方で、
こうしたファスケスが象徴する
「統一は力」(unity makes strength)という概念は、
イタリア語のファッショ(fascio、集団、結束)そして、
ファシズム(fascism、結束主義、全体主義)の語源ともなり、
20世紀に入ると、ムッソリーニやヒトラーの手によって、
全体主義的で国家主義的な極右思想へと悪用され、
個人の思想や言論の抑圧、自由主義や民主主義の否定から
人種差別主義にまではしっていくことになってしまいます。
しかし、
ファシズムの由来である
ファスケスが示す本来の精神は、
権力者の権威の象徴であると同時に、
同じ国や民族として集う人々の団結と連帯の象徴でもあり、
現代でも、こうした団結と連帯の象徴としての
木の棒が数多く束ねられた斧であるファスケスの姿は、
アメリカ合衆国議会上院の紋章の中に描かれていたり、
リンカーン大統領像が座る椅子の両端のレリーフ(浮き彫り)
にも描かれていたりしていて、
そのほかにも、
ドイツやフランス、スイスなどの数多くの都市の紋章、
エクアドルやカメルーンの国章などの中にも
権力と連帯の象徴としてのファスケスの姿が描かれているのを
見ることができます。
・・・
以上のように、
エトルリアからローマへと受け継がれ、ファシズムの語源ともなっている
古代ローマにおけるファスケスの慣習は、
日本における毛利元就のいわゆる「三本の矢」の教えにも通じる
団結と連帯の精神を表していて、
その姿は、現代においても、
権力者の権威の象徴であると同時に、
同じ国や民族、地域に集う人々の団結と連帯を示すシンボル
として使われ続けているのです。
・・・
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