線文字Aと線文字Bの違いとは?クレタ聖刻文字から始まるエーゲ文明における古代文字の変遷
古代ギリシア最古の文明である
エーゲ文明においては、
クレタ聖刻文字と、
線文字A、そして線文字Bという
三つの文字が使われていたと考えられるのですが、
これらのエーゲ文明における三つの古代文字は
互いにどのような関係にあるのでしょうか?
クレタ聖刻文字とギリシア初の文字文化の始まり
エーゲ文明を構成する
主要な三つの文明(クレタ文明、ミケーネ文明、トロイア文明)
の内の最初の一つである
クレタ文明(クレタ島にクノッソス宮殿を築いたとされるギリシア神話のミノス王の名にちなんでミノア文明とも呼ばれる)は、
紀元前2000年頃に始まります。
そして、
クレタ文明が栄えていた中心地である
クレタ島の宮殿の格納庫の中などからは、
クレタ聖刻文字(Cretan hieroglyphs、クレタ象形文字やクレタ絵文字とも呼ばれる)と称される文字が刻まれた埋蔵品が複数出土しています。
クレタ聖刻文字は、
クレタ文明の初期の頃から使われていたと考えられる
象形文字(実際の物の形を直接かたどる形で描かれた文字)であり、
記された文字の数も十分に多くはなく、
出土品に刻まれた文字同士の関連性もあまり高くないため、
いまだ未解読の文字となっていますが、
いずれにせよ、
このクレタ聖刻文字の出現によって
古代ギリシアのエーゲ文明における
ギリシア初の文字文化が始まることになるのです。
線文字Aの出現から線文字Bのギリシア全土への普及へ
そして、
紀元前18世紀頃になると、クレタ文明において、新たに、
線文字A(Linear A)と呼ばれる文字が作られることになります。
線文字Aは、
クレタ聖刻文字のような象形文字に基づいて作られた
線形の形状をした音節文字(表音文字のうち、一文字が一音節に対応する文字で、日本語の平仮名・片仮名などもこれにあたる)の一種であり、
こちらの文字も、クレタ聖刻文字と同様に、
現代においては未解読文字となっています。
そして、
紀元前16世紀頃にはじまったミケーネ文明がクレタ文明にとって代わり、
古代ギリシアの主要な文明の座を占めるようになると、
線文字Aがより簡略化され、
法則的に文字体系が整備された文字である
線文字B (Linear B)が新たに開発され、
古代ギリシア世界に広く普及していくことなります。
こちらは、クレタ島だけではなく、
ミケーネ文明が広がっていたギリシア本土一帯から
線文字Bが記された粘土板が大量に出土したことにより
文字の解読が大きく進み、
1952年にイギリスのヴェントリスによって、
線文字Bは、古代ギリシア語を表した文字であることが解明されています。
線文字Bは、宮殿の調度品や埋蔵品に限らず、
食糧庫の物品の出入管理用の帳簿や、
職業や人名を記した名簿などにも幅広く使用されていますが、
こうしたことからも、
紀元前16世紀~12世紀のミケーネ文明時代の古代ギリシアにおいて
より広い範囲での文字の使用と普及が進み、
古代ギリシア社会全体へと文字文化が定着していったことを
うかがい知ることができます。
線文字Aと線文字Bの相違点とクレタ聖刻文字との関係
以上のように、
クレタ聖刻文字が象形文字であるのに対して、
線文字Aと線文字Bは、共に、音節文字という
同じ言語の種類に位置づけられることになりますが、
線文字A が、ギリシア語以前の
古代言語であるミノア語を表していると推定される
未解読文字であるのに対して、
線文字Bは、古代ギリシア語を表している文字であることが
解明されている点、
また、
線文字Aの使用が、宮廷内の調度品や埋蔵品などの
一部の極めて限られた用途に限定されていたのに対して、
線文字Bは、より広い範囲で使用され、
ギリシア全土への普及が進んでいた点などが
互いに異なると考えられます。
そして、
古代ギリシアのエーゲ文明における古代文字の変遷は、
紀元前2000年頃のクレタ聖刻文字の出現から、
紀元前18世紀頃のクレタ文明の線文字A、そして、
紀元前16世紀頃のミケーネ文明の線文字Bへと
順を追って展開していくことになり、
線文字Aは、こうしたエーゲ文明の文字の変遷において、
象形文字であるクレタ聖刻文字から
体系化された音節文字である線文字Bへの
一つの過渡期に位置する言語であると捉えることができるのです。
・・・
関連テーマの記事①:古代ギリシアの暗黒時代とは何か?②500年間にわたる歴史の断絶と思想と人材の喪失
関連テーマの記事②:
「世界史」のカテゴリーへ
「言語学」のカテゴリーへ