アルテミシオンの海戦におけるペルシア艦隊の進軍とヘレスポントスの風そしてギリシア艦隊のアテナイへの撤退
前回書いたように、ペルシア戦争における最大規模の戦いが繰り広げられていくことになるクセルクセス1世による第三回ギリシア遠征においては、
ペルシア本国の主要都市であるサルディスを出立したペルシアの大軍は陸路においては、テッサリアとギリシア中部を隔てる隘路にあたるテルモピュライにおいてスパルタ兵を中心とするギリシアの重装歩兵と衝突することになり、
紀元前480年に起きたテルモピュライの戦いにおいては、レオニダス王が率いるわずか300のスパルタ兵に、30万におよぶとも言われるペルシアの大軍が苦戦を強いられることになるものの、
最終的には、レオニダスを含む300のスパルタ兵が奮戦の末に壮絶な戦死を遂げたのち、ペルシア軍はこの地を通り抜けてギリシア本土への侵攻を進めていくことになります。
そして、こうした陸路におけるテルモピュライの戦いと時を同じくして、海路においては、エウボイア島の北方に位置するアルテミシオン沖において、
アテナイの軍艦を中心とするギリシア海軍と1200隻を超えるとも言われるペルシアの大艦隊が衝突することになるのです。
ペルシア艦隊の進軍と陸路と海路におけるギリシア軍側の防衛線
スパルタが主導するギリシア陸軍がギリシア本土を守るためにペルシアの大軍を迎え討つ防衛線をテルモピュライに置いていたのに対して、
アテナイが主導するギリシア海軍は、海上におけるギリシア軍の防衛線をギリシア本土に隣接するエウボイア島の北端に位置するアルテミシオン岬の北方に位置する沖合の海域に定めることになります。
それに対して、
アケメネス朝ペルシアの大王であるクセルクセス1世の命を受けてペルシア本国を出立した1200隻を超える三段櫂船から成るペルシアの大艦隊は、
その後、エーゲ海を北上してトラキア地方の海岸沿いのルートを進んで行ったのち、マケドニアの南東部のアトス岬のつけ根に位置する地峡部分に掘削された運河を通ってマケドニアからテッサリアへと南下していき、テミストクレスが率いるアテナイ海軍を主体とするギリシア艦隊が待ち受けるアルテミシオン沖へと向かって進軍を続けていくことになるのです。
マグネシア沖でペルシア艦隊を襲う激しい暴風とヘレスポントスの風
しかし、
こうしたクセルクセス1世による第三回ギリシア遠征における海路における行軍のさなか、ペルシアの大艦隊は、
テッサリアの南部に位置するマグネシアの海岸沿いを航行している時に、四日間にわたって激しい暴風に見舞われることになります。
ちなみに、
この時、ペルシア艦隊を襲うことになった激しい暴風の正体は、ギリシア人たちによってヘレスポントス風とも呼ばれていた強い東風であったと考えられていて、
こうした強風は、ギリシアの東の彼方に位置するヨーロッパとアジアを隔てる現在ではダーダネルス海峡と呼ばれているヘレスポントス海峡の辺りから吹いてくると考えられていたため、こうした呼び名がつけられることになったと考えられることになります。
そして、
ペルシア艦隊においては、こうしたヘレスポントス風とも呼ばれる激しい暴風の影響によって船同士が衝突したり、船体が岸壁に打ち付けられたりすることによって、多くの船が沈没してしまうことになり、
実に、400隻以上にのぼるペルシア海軍の軍艦が戦いの前に海の藻屑となって消え去ってしまうことになるのです。
アルテミシオンの海戦におけるギリシア艦隊とペルシア艦隊の戦力差
こうしたマグネシア沖での激しい暴風によってペルシア艦隊は多くの軍艦を失うことになったものの、それでも、
800隻にものぼるペルシア海軍の軍艦がギリシア海軍の待ち受けるアルテミシオン沖へと到着することになります。
そして、それに対して、
これを迎え討つギリシア海軍の側は、アテナイの127隻を筆頭に、コリントやメガラ、アイギナなどから加わったすべての船を合わせても270隻ほどの軍艦の数しかなく、
3倍近くにもおよぶ圧倒的な戦力の差を見せつけられたギリシア海軍の側には戦いを前にして大きな動揺が広がっていくことになります。
そして、そうしたなか、
紀元前480年、陸上におけるテルモピュライの戦いとほぼ時を同じくして、海上におけるアテナイの艦隊を中心とするギリシア海軍とペルシアの大艦隊との前哨戦であるアルテミシオンの海戦が開戦の時を迎えることになるのです。
テルモピュライでのスパルタ兵の全滅とギリシア艦隊のアテナイへの撤退
そして、
こうしたアルテミシオンの海戦においては、ギリシア海軍の動向を見ていたペルシア海軍は、
圧倒的な戦力差を前にしてギリシア艦隊が開戦の前にギリシア本国へと撤退してしまうことを防ぐために、予め200隻の軍艦を迂回部隊としてギリシア海軍を背後から突くことによって挟み撃ちにしようと画策することになるのですが、
こうして派遣されることになったペルシア海軍の迂回部隊は、不慣れな海域において、再び暴風に見舞われることによって、その大部分が大破してしまうことになります。
そして、その後、
ギリシア海軍の側には、アテナイからさらに50隻ほどの軍艦が増援部隊として参戦することによって、数において大きく勝るペルシアの大艦隊に対して奮戦を続けていくことになるのですが、
アルテミシオンの海戦では、ペルシアの艦隊にも大きな損害はあったものの、ギリシア軍の側も消耗も激しく、この戦いにおいては、アテナイ艦隊における半数の軍艦が失われることになったとも伝えられています。
そして、そうしたなか、
陸上における防衛線を死守していたスパルタ兵がレオニダス王の指揮による奮戦の末に全員が戦死を遂げてテルモピュライが陥落すると、
隘路を突破したペルシアの大軍が雪崩を打ってギリシア本土へと侵攻していくことなります。
そして、その一報を聞いて、
もはや海上における防衛線を維持する意味がなくなったことを知ったアテナイ艦隊を中心とするギリシア海軍は、
ペルシア海軍とのギリシア本土における最終決戦に備えてアテナイへと向けて撤退を開始していくことになるのです。