ドイツ語の早口言葉② ウルムの町とデカルトの炉部屋
今回紹介するドイツ語のZungenbrecher(早口言葉)はこれです。
In Ulm und um Ulm und um Ulm herum.
すごく短いですね。
ドイツ語原文の下に、発音とアクセントを示すと以下のようになります。
In Ulm und um Ulm und um Ulm herum.
イン ウルム ウントゥ ウム ウルム ウントゥ ウム ウルム ヘルム
なんだが、ずっとウム、ウム言ってて、終わっちゃう感じですね。
次に文節ごとの和訳をドイツ語の下に入れてみましょう。
In Ulm und um Ulm und um Ulm herum.
ウルムで そして ウルムのあたりで そして ウルムの周りを
この早口言葉全体を直訳すると、
「ウルムで、ウルムのあたりで、ウルムの周り」
となります。
さすがにこれでは、何を言っているのか、いまいちわからないので、
少し意味深な謎かけ言葉っぽく意訳するとこんな感じになるでしょうか。
「ウルムの町の、ウルムのあたりで、ウルムの町をいつもぐるぐる回ってる」
早口言葉「ウルムの町」の文法的構造は?
次に、この早口言葉の文法的構造を見てみましょう。
ドイツ語と、文節ごとにつけた和訳の間に、前置詞や名詞といった文法的構造を書き入れると以下のようになります。
※ただし、文構造の表記中の山形カッコ<>は、
<>内の品詞が全体として一つの副詞句セットを形成していることを示しています。
In Ulm und um Ulm und um Ulm herum.
<前置詞+名詞> 接続詞 <前置詞+ 名詞> 接続詞 <前置詞+名詞+副詞※>
ウルムで ウルムのあたりで ウルムの周りを
※副詞のherumは、「um+名詞+herum」のセットの形で、「~の周りを」という意味になります。
上記の文構造を見ればわかる通り、
この早口言葉は、3つの副詞句が等位接続詞のund(英語のand)でつなげられただけの文構造で、
一連の言葉の中に、
主格(主語)も動詞も含まれていないので、
正式には、ちゃんとした文にすらなっていません。
結局、単に何となく響きが面白かったからということなのかもしれませんが、
なんで、こんなに短い、何を言っているんだかもいまいち分からない、
文にすらなっていない言葉が、語り伝えられてきたのか少し気になったので、
この早口言葉のなかで、唯一意味のありそうな単語の、
ドイツの都市名Ulm(ウルム)について少し調べてみました。
ウルムの町とツンフト闘争
ドイツの都市ウルムは、
イタリア、フランスにやや近い、ドイツ南部の都市で、
ドイツから東ヨーロッパへと流れるドナウ川にも面していて、
中世から、水運などの交通の要所として、商工業を中心に栄えてきました。
14世紀になると、大商人たちの商人ギルドに対抗して、地元の手工業者たちが
同職ギルド(同業組合、ツンフトZunft)を結成するようになり、
当時の都市貴族や豪商たちによる寡頭政治(少人数による独裁制)を打破し、職人たちの市政への参加と、都市の自治権拡大を実現することを目指して、
ツンフト闘争をくり広げていきました。
1327年には、ウルムの町では、ツンフト闘争の成功によって、手工業者たちにも広く市政への参加が認められるようになり、都市としての政治・経済活動の自由が拡大していくことになりました。
ツンフト闘争自体はその後、アウクスブルクやケルンといった大都市に広がっていくことになりますが、ウルムはそうしたドイツの自由な都市を代表する、先駆的な町として発展していったわけです。
ドイツの中世都市では、「都市の空気は自由にする」※と言われていましたが、
その言葉の通り、
ウルムは、中世の時代から、先取的な機運にあふれる、
自由な雰囲気の町だったと考えられます。
※当時のドイツでは、農民は奴隷に近い形で領主の支配下に置かれていることが多かったのですが、そうした農奴たちが、都市へと逃れ、領主に引き戻されずに1年と1日、都市で生活することができれば、新たに自由な身分を獲得することができたため、このように言われています。
そして、そうした商工業を中心とする経済面での自由の拡大が、
その後の、ルネサンスなどの、思想や文化面での自由な発想の展開へとつながる下地をつくっていったと考えられるわけです。
ウルムの町とデカルトの炉部屋
ウルムは、物理学者アインシュタインの出生地としても知られていますが、
この町に深い関わりのあるもう一人の人物として、
フランスの哲学者ルネ・デカルト(René Descartes)がいます。
デカルトは、ドイツ三十年戦争(1618年~1648年)に従軍するためドイツへと赴いたのち、
1619年10月頃からウルム近郊の炉部屋(暖炉のある小部屋)にこもって思索に耽り、11月10日の昼に、のちの『方法序説』へとつながる重大な着想を閃いたとされています。
『方法序説』(正式には、『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論』)とは、
1637年に公刊された、デカルトの主著で、
その中には、おそらく哲学史上、最も有名な言葉である、
「我思う、ゆえに、我在り」(Je pense, donc je suis)、
(このフランス語原文のラテン語訳が、cogito ergo sum(コギト・エルゴ・スム)です)
が書かれています。
炉部屋にじっと閉じこもって考え込んでいたデカルトが、思索に行き詰まって、
気分転換に少し外の空気を吸いに散歩に行き、
ウルムの町の周りをグルグル歩いているうちに、
重要な着想の元となる何らしかのアイディアをひらめいた、
といったことも、ひょっとしたらあったかもしれません。
In Ulm und um Ulm und um Ulm herum.
「ウルムの町で、ウルムのあたりで、ウルムの町をぐるぐる回ってる」
というこの早口言葉も、
デカルトがいつ解けるとも知れない難解な問題を頭に抱えて、
ウルムの町の周りを、哲学的な思考と一緒に、いつまでもぐるぐる堂々巡りをしているといったイメージをもって読んでみると、
一見無味乾燥で無意味に見える早口言葉にも、少し具体的なイメージが吹き込まれるかもしれません。
・典拠
http://www.uebersetzung.at/twister/de.htm(リンク切れ)
(ドイツ語原文のZungenbrecher(早口言葉)の参照元)
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このシリーズの前回記事:
「ドイツ語の早口言葉の紹介とその文法的構造①「漁師のフリッツェ」」
このシリーズの次回記事:
「ドイツ語の早口言葉③ ドイツ語はZではじまる単語の数が多い?」
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