人間原理の宇宙観によって地球外知的生命体の存在が否定される理由とは?観測者を生み出す条件が整った瞬間に現実化する宇宙

前回の記事では、宇宙人の存在を否定する議論へとつながる三つの科学理論のあり方について順番に取り上げてきましたが、

そのなかでも、最後に挙げた人間原理に基づく宇宙観から地球外知的生命体の存在可能性の否定へとつながる議論の流れのなかには、少し複雑な論理展開が含まれていると考えられることになるので、

今回の記事では、そうした人間原理に基づく宇宙観によって地球外知的生命体の存在が否定される議論の流れについてより詳しく考察していきたいと思います。

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観測者を生み出す必要十分な条件が整った瞬間に現実化する宇宙

前回の記事でも書いたように、

人間原理においては、人間という存在を一つの原理として位置づけることによって、現実の宇宙の構造のあり方は、そうした人間の存在を生み出すような適切な条件を満たす形に限定される必要があるといった考え方が示されていくことになるのですが、

こうした人間原理と呼ばれる宇宙の捉え方には、厳密には、弱い人間原理と強い人間原理と呼ばれる二通りの人間原理の捉え方が存在し、

その中でも特に、後者の強い人間原理においては、最終的には、宇宙の存在そのものを成り立たせている究極の原理自体がそうした宇宙の観測者としての人間の存在のうちに求められることになるとする宇宙観が展開されていくことになります。

つまり、こうした強い人間原理に基づく考え方においては、

人間のような知的生命体が存在しない宇宙、すなわち、そうした知性や意識を持つ存在による観測可能性を満たさない観測不可能な宇宙というものは、

何者によってもその存在が確認されようがないものである以上、その存在自体が無に等しいものであるとも考えられることから、

現実的な存在としての宇宙の成立は、その宇宙を観測する主体である人間のような知的生命体の存在を前提とすることによってはじめて可能となると考えられることになり、

極端な言い方をすれば、

現在の宇宙の存在というものは、無数に存在する様々な構造を持った可能的な宇宙のうちの一つにおいて、人類という宇宙自体の観測を可能とする存在者を生み出す必要十分な条件が整った瞬間に現実化したものとして捉えることができると考えられることになるのです。

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人間原理に基づく宇宙観から導かれる地球外知的生命体の存在を否定する論理

そして、

こうした強い人間原理に基づく宇宙観における宇宙の捉え方を前提とした場合、

そうした観測可能な現実の宇宙の誕生というものは、必ずしも複数の観測主体となる知的生命体の存在を必要とするわけではなく、

むしろ、

一つの可能的な宇宙がその宇宙の観測主体となる一つの知的生命体の存立を可能とする条件を整えた瞬間に現実化することになると考えられることになります。

そして、

こうした人間原理に基づく現実的な宇宙の誕生についての議論と地球外知的生命体の存在可能性についての議論とを互いに結びつけていくと、

前述したように、現在の宇宙の存在というものは、無数の可能的な宇宙のうちの一つの宇宙がその宇宙の観測主体となる一つの知的生命体である人類の存在を生み出した瞬間に現実化したものであると捉えられることになり、

そのほかに別の観測主体となる知的生命体の存在は特に必要とされてもなければ、宇宙の側にもそうしたほかの複数の知的生命体を生み出すような十分な条件はその存立の時点においては存在していない以上、

そこには、もう一つの余分な観測者としての地球外知的生命体の存在がこの宇宙の内に存在する余地は、もはやどこにもなくなってしまうという意味において、

こうした人間原理に基づく宇宙観からは、究極的には、地球外知的生命体の存在自体を否定する論理を導くことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:

前回記事:宇宙人の存在を否定する根拠となる三つの科学的な理論とは?「人間原理」と「レアアース仮説」と「インテリジェントデザイン説」

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