「あらゆるものの内にあらゆるものの部分が含まれている」アナクサゴラスの箴言と生命観と宇宙観

紀元前5世紀後半古代ギリシアの哲学者
アナクサゴラスAnaxagoras、紀元前500年頃~紀元前428年頃)の哲学思想においては、

すべてが渾然一体となった状態こそが世界の根源的な姿であり、
宇宙全体は、個々の事物へと完全に分離しきることが不可能な
本質的にすべてが一体となった存在として捉えられることになります。

そして、

こうした世界におけるすべての存在は、本質的には互いに分離されることなく
すべてが互いにつながり合っているとするアナクサゴラスの世界観は、

あらゆるものの内にあらゆるものの部分が含まれている」という
彼自身の箴言において、如実に語られていくことになります。

スポンサーリンク

生命体における部分と全体の関係

アナクサゴラスの哲学において、
世界に存在するあらゆる事物を構成している要素は
種子spermataスペルマタ)と呼ばれることになりますが、

この種子という植物の種を類推させるような
概念の名づけられ方からも分かる通り、

アナクサゴラスにおける自然哲学の思想は、基本的に、
生命体とのアナロジー(類比)において捉えられることになります。

例えば、

人間の胎児において、

はじめの受精卵の段階では、すべてが一様な球形の状態にあり、
受精卵のどの部分が将来、頭や手足になっていくのかということは
まったく判別がつかない状態にありますが、

妊娠3か月目くらいになると、エコーで見たときの姿からも
肉眼でもある程度、顔や手足の位置、さらに、耳や鼻などの部分もある程度
判別がつくようになっていきます。

そして、

こうした胎児の姿の違いについて、

受精卵の段階と、3か月目の段階において、胎児を形成している細胞が
別のものへと入れ替わってしまったわけではなく、

基本的には、受精卵の段階の細胞がそのまま連続的に変化していくことによって
3か月目の段階における胎児の姿へとつながっていったと考えられることになります。

すると、

さかのぼって、受精卵の段階から、手足といった
人体を構成するすべての部分がすでに含まれていたと考えられることになり、

発生学的には、人間の誕生における出発点である受精卵は、予め最初から、
のちに人体を構成することになるあらゆる部分を自らの内に含み持つ存在として捉えられることになるのです。

そしてさらに、

現代の分子生物学における遺伝子の概念を導入すれば
より明らかになるように、

人体を構成している一つ一つの細胞自体も、受精卵ほどの完璧な万能性は有していないにしても、少なくとも、遺伝子という生物学的情報のレベルにおいては、
人体を形成する他のあらゆる部分を自らの内に含み持つ存在として捉えられることになります。

そして、以上のような意味において、

少なくとも生命体においては、

生命体を形成する受精卵や、細胞の一つ一つには、
その生命体全体が有するあらゆるものの部分が含まれているという関係が成り立つと考えられることになるのです。

スポンサーリンク

我々自身の内に宇宙に存在するあらゆるものの部分が含まれている

そして、

こうした生命体における個々の部分がその生命体全体の部分を有するという
全体論的な生命観がさらに宇宙における生成変化の仕組み全体へと拡張されたものが

アナクサゴラスの哲学思想における
あらゆるものの内にあらゆるものの部分が」原則であると
考えられることになります。

視線を人体の中から世界全体へと向けていくと、

例えば、

毎日駅まで歩いていく道の路肩に咲く花の花びらは、
自分の指先から剥がれ落ちた皮膚片が姿を変えたものかもしれず、

空からポツリと落ちてきた雨しずくは
誰かが流した涙が水蒸気となって雲の一部となり、
それが空を巡って再び地上へと降り落ちた一滴かもしれず、

風が吹いていくのは、
亡き人がかつて吐いた息が、他の様々な気流の動きと混ざり合って
いま私の傍らを通り過ぎて行くのかもしれないというように、

そうした世界を構成する一つ一つの事物の内には、
世界に存在する他のあらゆるものの部分が含まれていて、

世界に存在するすべての事物は、
互いに切っても切れない連続した一体的な関係にあるという意味において、

あらゆるものの内にあらゆるものの部分が含まれている

と考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

アナクサゴラスの「あらゆるものの内にあらゆるものの部分が」原則に従うと、

人間を含む世界に存在するすべての事物は、
互いに不可分な連続した関係にあり、

一人一人が宇宙全体とつながった
一体的な存在として生きていることになるのですが、

こうした宇宙全体と一人一人の人間といった個々の存在との関係は、

宇宙全体の内にその一部分である我々が包み込まれているという
一方的な関係だけはなく、

我々自身の内にも宇宙全体のあらゆるものの部分が含まれているという双方向的な関係において成立していると捉えたところに、

宇宙生命、そして人間自身に関する
アナクサゴラスの深い洞察があったと考えられることになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:同質部分体(タ・ホモイオメレー)とは何か?スペルマタ(種子)からクレーマ(事物)へと至る三段階の秩序構造

このシリーズの初回記事:アナクサゴラスの哲学の概要

アナクサゴラスのカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ