サリッサと呼ばれるマケドニアの長大な両手槍の特徴とフィリッポス2世による改良型斜線陣の展開
前回書いたように、紀元前359年に新たにマケドニアの王として即位することになったフィリッポス2世は、
その後、フィリピの町の近くにあったパンガイオンの金鉱開発によって得られた豊富な資金を財源として、マケドニア国内における軍制改革を中心とする様々な政治改革を進めていくことになります。
そして、こうしたマケドニアのフィリッポス2世によって進められた軍制改革のなかでも後世にまで影響をおよぼしていくことになった戦術面での大きな変化としては、
ファランクスと呼ばれる密集陣形をとる重装歩兵にサリッサと呼ばれる長大な槍を装備させたことと、テーバイの名将エパミノンダスによって編み出された斜線陣と呼ばれるファランスクの戦術に新たな改良をもたらしたという二つの点が挙げられることになります。
サリッサと呼ばれるマケドニアの長大な両手槍の特徴
(マケドニアのファランクス:出典:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Makedonische_phalanx.png Macedonian phalanx, Credit: F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy, 1984)
サリッサまたはサリーサ(sarissa)とは、フィリッポス2世による軍制改革以降の古代マケドニアの軍隊において用いられることになった長大な両手槍のことを意味する言葉であり、
マケドニアの台頭以前の古代ギリシアの重装歩兵が用いていた一般的な槍の長さがだいたい2.1~2.7 mくらいであったのに対して、古代マケドニアの重装歩兵が用いていた槍の長さはそのほぼ2倍からそれ以上となる4~6mにもおよぶ長大な槍であったと考えられています。
そして、こうしたマケドニアの重装歩兵が用いる長大な槍は、戦闘における耐久性を高めるために柄の部分の材質に丈夫で弾力のある木材であるコーネル材が用いられていて、槍全体の重量は5.5 ~6.5 kgにもおよぶ非常に重い槍でもあったため、
通常の重装歩兵が槍を右手に持って盾を左手に装備する形で戦っていたのに対して、サリッサを装備したマケドニアの重装歩兵たちは重く長大な槍を常に両手で支え持つ形で戦闘にあたり、円形の盾を首から吊り下げる形で自らの左半身を守る防備としていたと考えられています。
そして、こうしたサリッサと呼ばれる長大な両手槍を捧げ持つ重装歩兵の密集隊によって構成されるマケドニア軍のファランクスにおいては、そうした長大な槍の特性を生かして、敵軍の重装歩兵に対して武器の間合いにおいて圧倒的な有利を誇ると同時に、
正面から向かってくる敵に対して、前列の重装歩兵の隊列のすき間から、後列の重装歩兵が持つ無数の槍が突き出してくることによって、前面の敵に対して通常のファランクスの数倍におよぶ圧倒的な攻撃力を発揮することになっていたと考えられることになるのです。
フィリッポス2世による改良型斜線陣の展開と古代最強の軍隊の形成
そして、こうしたサリッサを装備したマケドニアのファランクスの圧倒的な攻撃力と敵陣への突破力をより強力に生かしていくために、
フィリッポス2世は、かつて自分が若い頃に人質生活を送ることになったギリシア中部のボイオティア地方の中心都市であったテーバイにおいて、
この都市国家を代表する名将でありギリシア随一の戦術家としても知られていたエパミノンダスから学んだ斜線陣と呼ばれるファランクスの新戦術にさらに独自の改良を加えていくことになります。
テーバイの名将であるエパミノンダスによって編み出された斜線陣と呼ばれるファランクスの戦術においては、自軍の左翼のみに兵力を偏らせた不均等な陣形をとることによって、
圧倒的な兵力を集中させた左翼から突撃を開始して、兵力が手薄になっている右翼へと向かって突撃を順次遅らせていく斜めに構えた陣形を形成していくことによって左翼からの敵陣の突破を図っていくことになります。
それに対して、フィリッポス2世によって考案されたマケドニア軍における改良型の斜線陣の陣形においては、
自軍の右翼の側にサリッサを装備した重装歩兵の密集隊を集中して配置したうえで、敵陣に対する突破力をさらに高めるために、ヘタイロイと呼ばれる重装備の騎兵隊を重装歩兵の近くに配置し、
さらに、左翼と右翼のどちらの方面からも敵陣の突破を試みることができるように、両翼の前方に軽装の騎兵隊を配置することによって自軍の機動力を強化していくことになります。
そしてこのように、フィリッポス2世が重装歩兵の陣形に騎兵隊を組みわせて用いることによって、より柔軟性が高く機動力に優れた軍の運用を行うことができた理由としては、
そもそもマケドニアが南方のギリシア世界と東方のペルシア帝国とのちょうど中間に位置する地において興隆していくことになった新興国であったという点が大きく影響していると考えられることになります。
ギリシア軍の主体がファランスクと呼ばれる密集陣形をとる重装歩兵であったのに対して、ペルシア軍の精鋭部隊には主に騎兵を主体とする部隊が用いられていたと考えられるのですが、
つまり、そういった意味では、ギリシア世界とペルシア帝国のちょうど中間に位置するマケドニアにおいては、両者の軍隊における戦術や装備の優れた面が取り入れさらに進化していくことによって、
サリッサと呼ばれる長大な両手槍を装備した重装歩兵の密集隊と、ヘタイロイと呼ばれる重装備の騎兵隊を主体とする攻撃力と機動力の両面において優れた古代における最強の軍隊が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。