指南の方位が「南」である三つの理由とは?『易経』と陰陽五行説における「南」という方位の位置づけ

指南(しなん)とは、武術や芸能などのその道に秀でた人物が、弟子などの教えを請う人々に対して自らが持つ技能技術、さらには、知識生き方などを伝授し、教え導くことを意味する言葉であり、

それは、一言でいうと、

人々をその道における正しい方向へ教え導くことを意味する言葉であると考えられることになります。

それでは、

こうした「指南」という言葉において、人々が教え導かれていくべき正しい方向として指し示されている方向が、

北でも、東でも、西でもなく、「南」とされている理由としては、具体的にどのような理由があると考えられることになるのでしょうか?

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黄帝が蚩尤の軍を破るために用いた指南車の構造

中国神話においては、黄帝と蚩尤という二人の覇王が古代世界の覇権をめぐって争う場面が描かれていて、

その中でも、両者が率いる大軍勢同士の決戦が行われた涿鹿(たくろく)の戦いにおいては、

魑魅魍魎の軍勢を率いる蚩尤が、黄帝の軍勢をかく乱させるために、妖力を駆使して濃い霧を張りめぐらせ、黄帝の軍の視界を奪ってしまう場面がでてきます。

こうした蚩尤の側の工作に対して、

古代中国の人民を率いる黄帝は、指南車(しなんしゃ)と呼ばれる常に一定の方向を指し示す機械仕掛けの羅針盤のような装置を使うことによって、霧の中でも敵の本隊がいる方向をしっかりと見定めて直進していくことができるようになり、最終的に蚩尤の軍に勝利をおさめることになるのですが、

指南という言葉のもともとの由来は、こうした黄帝が蚩尤の軍を破るために用いた指南車と呼ばれる一定の方位を指示する車の名前に求められると考えられることになります。

そして、

こうした指南車と呼ばれる装置は、それが一定の方位を指し示す羅針盤のような働きを示すとはいっても、その車の内部に方位磁石のような磁石が存在するわけではなく

車が方向転換していく際に生じる左右の車輪の回転数の差を利用して、それが車の内部に配置された特殊な歯車の組み合わせを通じて上部へと適切な形で伝えられていくことによって、

車の上に載せられた仙人の姿をした人形の指が、操作者によって予め設定された一定の方向を常に指し示すという仕組みにになっていたと考えられることになります。

つまり、

指南車が示す方向は、予め指し示す方向を設定してさえおけば、別に南だけに限らず、北でも、西でも、東でも、あるいは、北北東といった方角でも、任意の好きな方角を指し示す方向として定めることができたと考えられることになるのですが、

それでは、

なぜ、こうした指南車と呼ばれる装置は、一般的には南の方位を指し示す車として語られるようになっていったと考えられることになるのでしょうか?

『易経』と陰陽五行説における「南」という方位の位置づけ

中国において、「南」という方位高貴な方位として特に尊重される理由としては、第一に、

古代中国の道徳思想の根幹にある儒教の経典のなかの最も尊重されている経典である五経(ごきょう)のうちの筆頭として挙げられる『易経』(えききょう)における以下のような記述の内にその理由を求めることができると考えられることになります。

「聖人南面而聴天下、嚮明而治」(『易経』「説卦伝」)

聖人が南を向いて着座して天下の情勢を聴けば、天下は明るい方へと向かって治まる

つまり、

こうした『易経』の記述において、聖人と呼ばれる理想的な君主は、天下をより良い方向へと導いて国を治めていく際に、南を向いて政治を行うと語られているように、

古代中国の人民を率いた聖王であり、漢民族の祖としても位置づけられる黄帝が蚩尤との戦いにおいて用いた装置が指し示すべき方向も、

周りに立ち込める暗い霧を打ち払い天下を明るい方向へと導く南を指し示すものでなければならないという意味で、指南車という言葉が用いられるようになったと考えられることになるのです。

陰陽五行説における色と方位の対応関係

また、

こうした指南車と呼ばれる装置が南の方位を指し示す車として語られている理由としては、もう一つの別の解釈も考えられ、

例えば、万物の生成と変化を陰と陽の二つの力の対立と調和と、五種類の元素の相互作用によって説明する東洋思想である陰陽五行説においては、上図で示したように、

土・水・木・火・金という五元素には、については黄・黒・青・赤・白の五色が、方角については中央・北・東・南・西という一つの位置と四つの方位がそれぞれ対応していると考えられることになります。

そして、

前述したように、指南という言葉の語源となった指南車を用いた中国神話における古代の聖王は、黄帝、すなわち、色においては黄を象徴とし、位置においては中央に座するとする帝王であると考えられることになるのですが、

それに対して、

黄帝の最大の敵であった蚩尤は、詳しくは蚩尤とは何か?の記事で書いたように、

炎帝氏と呼ばれる火を司る神の一族の末裔として位置づけられている覇王であり、上図において示したように、陰陽五行説においては、色においては赤を象徴とし、方位においては南に対応すると考えられることになります。

つまり、

こうした陰陽五行説における色と方位の対応関係に基づくと、指南車の考案者である黄帝が座する中央の位置から見て、火を司る蚩尤南方の位置に立つことになり、

そういう意味では、

黄帝が蚩尤の軍勢を破るために用いた指南車は、両者の戦いにおいては、文字通り南の方角を指し示す装置として用いられていたとも考えられることになるのです。

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以上のように、

人々を正しい方向へ教え導くことを意味する「指南」という言葉に用いられている方位が「南」である理由としては、

まず、第一に、

指南という言葉のもともとの由来が、中国神話において、古代中国の聖王である黄帝が蚩尤の軍を破るために用いた指南車と呼ばれる一定の方位を指示する車の名前に求められるということが理由として挙げられると考えられることになります。

そして、さらに、

こうした古代中国の聖王である黄帝が用いた一定の方向を指示する機構を持った特殊な車に指南車という「南」の方位を示す表現が用いられるようになった理由としては、

一つには、

儒教の聖典である五経の筆頭として挙げられる『易経』において、聖人と呼ばれる理想的な君主は、天下をより良い方向へと導いて国を治めていく際に、南を向いて政治を行うと語られていることから、

古代中国においては、南という方位自体が、聖人がその方角を向いて政治を行うべき高貴な方位として捉えられていたという点が挙げられることになります。

そしてさらに、もう一つの別の理由としては、

陰陽五行説における色と方位の対応関係に基づくと、黄を象徴とする黄帝は中央に座するのに対して、火を司る炎帝氏に属する蚩尤は南方に位置することになり、

上述した黄帝と蚩尤の戦いにおいては、黄帝は指南車と呼ばれる方向指示装置を用いる際に、自分自身が座する中央から蚩尤が位置する南の方位へと向けて進軍していったと捉えることができるという点も挙げることができると考えられることになります。

つまり、一言でまとめると、

指南の方位が「南」である具体的な理由としては、

指南という言葉が、中国神話において黄帝が蚩尤を破るために用いた指南車と呼ばれる一定の方位を指示する車に由来しているから。

『易経』において聖人は南を向いて政治を行うとされているように、古代中国においては、南という方位自体が高貴な方位として位置づけられているから。

陰陽五行説において、黄を象徴とする黄帝が中央に座するのに対して、黄帝の敵である蚩尤は南方に位置づけられているから。

という全部で三つの理由を挙げることができると考えられることになるのです。

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次回記事:皇帝の由来とは何か?秦の始皇帝と中国神話における三皇五帝との関係

前回記事:蚩尤とは何か?涿鹿の戦いにおける黄帝軍と蚩尤軍の間の中国神話の古代世界における最終戦争と歴史時代への転換点

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