言語の階層化に基づく自己言及のパラドックスの解決、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス④

前回書いたように、

相対主義における自己言及のパラドックスを避けるためには、

自己言及している文自体をその文の指示対象から除外するという
自己言及文自体を特権的に例外化して捉える解釈が有効と考えられることになるのですが、

このような自己言及文自体の特権的な例外化は、
自己言及文の構造を具体的にどのようなものとして捉えることによって
論理的整合性のある解釈として根拠づけられることになるのでしょうか?

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文章のうちの一部の文を他の部分とは異なる特権的な位置づけにある文として捉えるための解釈の一つとして、文章と言語の階層化という構造が考えられることになります。

文章と言語の階層化とは、

人間が用いる文章や言語においては、
暗黙の了解としてある種の階層化がなされていて、

その文章中の上位の階層に位置づけられる文は、下位の階層に位置づけられる文ついて言及することができるが、その反対に、下位の階層の文が上位の階層の文に対して言及することはできないという文章の捉え方や言語観のことを指す概念ですが、

例えば、以下のような議論において、
こうした文章の階層構造の具体例について考えることができます。

小論文の試験問題における文字数表記の無限更新のループ

小論文の試験問題で、
以下のような設問が書かれた用紙が配られているとします。

問)○○についてあなた自身の考えを述べよ。
ただし、用紙の最後に文章全体の文字数を記せ

あなたは、この設問の指示に従って、
用紙の設問が書かている行の次の行から
設問の答えにあたる文章を書き連ねていき、

試験時間の終わりが迫ってくると
答えとなる文章をまとめ上げ、全体の文字数を数え上げたうえで、
設問の指示通りに、文末に、文章全体の文字数を書こうとします。

しかし、

ここで、あなたは、ふとある問題に気づいて、
ペンを持つ手を止めることになります。

もし、自分がここに、「以上○○文字」と
今数え上げた文章全体の文字数を書き記すとすると、

書き足された「以上○○文字という文の文字数の分だけ
文章全体の文字数増えてしまうことになる、

そこで、設問の指示通り、文末に文章全体の文字数が記されるようにするためには、
新しく増えた文字数の分も含めて、「以上○○文字という文の後ろにさらに以上△△文字」という文を書き記さなくてはならない、

しかし、そうすると、新たに書き足された「以上△△文字という文の文字数の分だけさらに文章全体の文字数増えてしまうことになるので、

設問の指示通り、文末に文章全体の文字数を記されるようにするためには、
さらに新しく増えた文字数の分も含めて、「以上〇〇文字以上△△文字という文の後ろにさらに以上□□文字」という文を書き記さなくてはならない、

というように、無限文章全体の文字数の表記が更新され続けていくことになってしまうのではないか?という疑問が生じてしまうことになるのです。

そして、この場合、

今、自分が書き上げた文章の文字数を全部数え上げたとして、
その文字数をここに「以上○○文字」と書き記したとするならば、

この「以上○○文字という文の文字数自体も、さらには、元から書かれていた設問部分の文字数についても文章全体の文字数に含まれてしまうことになるのではないか?という問題が、

上記のような文字数表記の更新の無限ループを生む源となっていると考えられることになるのです。

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文章と言語の階層化に基づく相対主義における自己言及のパラドックスの解決

しかし、

上記のような小論文の試験で解答を書く時に、
このようなパラドックスのような議論に捕らわれて頭を悩まされて試験どころではなくなってしまうような人が現実に続出してしまうことになるとは考えにくく、

実際は、試験を受けている人のほぼ全員が、自分が書いた解答部分の文字数のみをカウントして、その文字数を文章全体の文字数として用紙の末尾に書き記すと考えられることになります。

そして、この場合、

解答者の頭の中では、暗黙の内に、「文章全体の文字数を記せ」という設問文全体の文字数を記している文自体は、文章全体の文字数として記すべき対象からは除外されていて、

設問文や全体の文字数を記している文は、通常の解答部分の文章とは
別枠に位置づけられる文、言わば、別次元別階層に位置づけられる文として捉えられていると考えられることになるのです。

つまり、

上記の試験問題における
設問部分と全体の文字数記入部分の文は、

問題について解答している本文とは異なる階層の文章に属している文と考えられることになるのです。

そして、

相対主義についての自己言及のパラドックスにおいても、
相対主義における「絶対的に正しい主張は存在しない」という主張が

「神は存在する」、「神は存在しない」、「憲法を改正すべきである」、「憲法を改正すべきではない」といった個々のあらゆる主張と思想のすべてを俯瞰するように捉え、その全体を上位の階層から批判する主張であると解釈することができるとするならば、

上記の小論文の試験問題における議論と同様に、パラドックスを回避することが可能となると考えられることになるのです。

つまり、

相対主義における自己言及のパラドックスにおいては、

個々の思想のすべてを俯瞰的に捉えて批判するという
言語的行為自体が、

新たな言語の階層を積み上げ、その上位の階層から下位の階層への言及を行うという言語の階層化を形成する論理的操作と一致する行為であると捉えることができるということです。

・・・

以上のように、

文章と言語の階層化という文章構造ないし言語構造の解釈に基づくと、
相対主義における自己言及のパラドックスは、

個々の主張個々の思想のすべてを俯瞰するように捉え、
その全体を上位の階層から批判する主張であると解釈することによって
パラドックスの構造を回避することができると考えられることになります。

そして、こうした相対主義の主張の捉え方は、

哲学思想全体を上位の階層からメタ的に批判する
言わば、メタ思想メタ哲学とでも言うべき概念へとつながっていくことになると考えられることになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:自己言及文の指示対象からの除外と落書きのパラドックス、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス③

このシリーズの次回記事:メタ哲学の先駆けとしての相対主義と懐疑主義の無限循環の迷宮、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス⑤

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