巨神兵とは何か?①『風の谷のナウシカ』の映画版と漫画版における巨神兵の位置づけのあり方の違い

巨神兵(きょしんへい)とは、1984にこの作品の原作者である宮崎駿(みやざきはやお)監督自身の手によってアニメ映画化されたことで有名な『風の谷のナウシカ』において登場する巨大な怪物の名前であり、

かつて、火の七日間と呼ばれる戦争において旧世界を滅ぼしたとされる、自らが放つ光と炎によって世界のすべてを焼き尽くす力を持った巨大な人型の人工生命体のことを意味する言葉ですが、

こうした巨神兵という呼び名の由来については、この物語の原作である漫画版の『風の谷のナウシカ』において老剣士ユパが語っている以下のような言葉に基づいていると考えられることになります。

・・・

ユパ「滅亡の書にある光輪だ……。光を帯びて空を覆い死を運ぶ巨(おお)いなる兵(つわもの)の神。」

(『風の谷のナウシカ』第七巻、13ページ。)

・・・

そして、

こうした巨神兵と呼ばれる存在については、映画版漫画版において、その位置づけいのあり方に大きな違いが見られることになるのですが、

それでは、そうした映画版と漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、それぞれ具体的にどのような形巨神兵の姿が描かれていると考えられることになるのでしょうか?

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映画版における意志を持たない殺戮兵器としての巨神兵の姿

まず、

映画版の『風の谷のナウシカ』においては、

不完全な状態で無理やり目覚めさせられた巨神兵は、上半身だけになって地を這うドロドロに溶けた泥人形な醜い姿で現れ、

トルメキア軍を率いるクシャナ殿下に命じられるままに口から光を放って、次々に王蟲の大群を焼き払っていくことになるのですが、

その場面では、以下のような形で、クシャナ殿下や、トルメキア軍の参謀であるクロトワ、その場に集っていた風の谷の人々などの口を通じて巨神兵の姿についての描写がなされていくことになります。

・・・

風の谷の人々「巨神兵だー。」

クロトワ「腐ってやがる。早過ぎたんだ。」

クシャナ「焼き払え。どうした、それでも世界で最も邪悪な一族の末裔か。」

クロトワ「すげー。世界が燃えちまうわけだぜ。」

クシャナ「なぎ払えどうした化け物、さっさと撃たんか。」…

風の谷の子供「巨神兵、死んじゃった。」

大ババさま「そのほうがいいんじゃよ。王蟲の怒りは大地の怒りじゃ。あんなものにすがって生き延びてなんになろう。」

・・・

つまり、

こうした映画版の『風の谷のナウシカ』においては、巨神兵と呼ばれる存在は、

自分の所有者となった人間の命令のままに光を放って破壊の限りを尽くしていくという自らの意志を持たない単なる殺戮兵器としての意味合いが強い存在として描かれていると考えられ、

また、

クシャナ殿下が語る「化け物」「世界で最も邪悪な一族」、あるいは風の谷の大ババさまが語る「あんなもの」といった言葉にも表れているように、

こうした『映画版』における巨神兵は、その名が示している「神」というような高貴な存在というよりは、

この世界の内で最も強大な力は持っているものの、その力によって破壊と殺戮をもたらすだけの邪悪で不浄な存在として、人々から忌み嫌われ蔑まれるべき対象としても位置づけられていると考えられることになるのです。

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漫画版における光輪を帯びし調停者としての巨神兵の姿

それに対して、

漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、

巨神兵は、映画版と同様に不完全な状態で目覚めることになるものの、人間と同じように直立した二足歩行の状態で大地に降り立ったうえで、

背中の突起を翼の骨格のように長く伸ばすと、自分が放つ光のエネルギーによって自らの体を光輪の内に包み込み、その力を利用して天空を自由に飛翔していくという、まさに、その名に恥じない神々しい姿をして登場することになります。

そして、

ナウシカが持つ秘石の力によって不完全な状態ではあるものの覚醒するに至った巨神兵は、自分を呼び覚ました人物であるナウシカのことを自らの生みの親として認識し、彼女のことを母として慕って付き従っていくことになるのですが、

そうした自らの母であるナウシカによって「オーマ」という名を与えられた巨神兵は、以下のような形で自らの存在を語り出すことになります。

・・・

巨神兵「我が名はオーマ。風の谷のナウシカの子オーマ!!オーマは光輪を帯びし調停者にして戦士なり。我は小さき母と共に西の土地へ往く。」

(『風の谷のナウシカ』第七巻、34ページ。)

・・・

そして、こうした巨神兵の姿を目にしたナウシカは、自らの心の内で、以下のように語っていくことになります。

・・・

ナウシカ「わたし達はオーマの一族について何も知らないんだわ。火の七日間で世界を亡ぼしたっていう伝説を聞いているだけ。ただの兵器なら知能はかえって邪魔のはずだわ。この子には人格さえ生まれはじめている。大昔の人は死神としてオーマ達をつくったんじゃないらしい……。神様として…まさか。」

(『風の谷のナウシカ』第七巻、35~36ページ。)

・・・

つまり、

こうした漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、巨神兵と呼ばれる存在は、

所有者に命じられるままに破壊の限りを尽くしていく単なる殺戮兵器としてではなく、自らの意志によって、自分が何を成すべきであるかを判断する知性を持った人格的存在として位置づけられていて、

そこでは、自らの意志と人格に基づいてその強大な力を振るうことによって、人間の世界において神の審判を下す光輪を帯びし調停者としての巨神兵の姿が描き出されていると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

こうした映画版の『風の谷のナウシカ』漫画版の『風の谷のナウシカ』のそれぞれの作品における巨神兵と呼ばれる存在の具体的な位置づけのあり方の違いについて考えていくと、

映画版における巨神兵は、強力な力を持つが己の意志は持たずに、ただ命じられるままに目につくものを焼き尽くし、破壊尽くしていくという単なる巨大な殺戮兵器のような存在として描かれているのに対して、

漫画版における巨神兵は、知性と人格を持ち、自らの意志に基づいて世界に対して審判を下す調停者の役割を担う人格神としても位置づけられているという点に、

こうした映画版と漫画版における巨神兵の存在の位置づけのあり方の大きな違いを見いだすことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:調停者と裁定者としての巨神兵の姿と火の七日間の本当の意味とは?巨神兵とは何か?②

前回記事:生命とは光なのか闇なのか?『風の谷のナウシカ』における輝く闇としての生命のあり方

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