映画版と漫画版の『風の谷のナウシカ』における「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」というセリフの違いとは?

「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」というセリフは、

1984にこの作品の原作者でもある宮崎駿(みやざきはやお)監督自身の手によってアニメ映画化された『風の谷のナウシカ』のクライマックスのシーンにおいて語られる印象的なセリフですが、

そうした映画版の『風の谷のナウシカ』と、その原作にあたる漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、

上記のセリフが語られる状況や、セリフの語り手、セリフ自体の具体的な内容などについて大きな違いを見いだすことができると考えられることになります。

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映画版における大ババさまのセリフと瀕死の状態から奇跡の復活を遂げるナウシカの姿

アニメ映画版の『風の谷のナウシカ』ではクライマックスの場面において、ナウシカは、自らの身を挺して王蟲の暴走を食い止めることによって、意識のない瀕死の状態で大地の上に横たわることになるのですが、

その姿を目にした風の谷の少女と、風の谷の長老である大ババさまの以下のような言葉によって、映画版のナウシカの物語はエンディングへと向けて一気に進んでいくことになります。

・・・

風の谷の少女「姫ねえさまが、死んじゃった。」

大ババさま「身をもって王蟲の怒りを鎮めてくだされたのじゃ。あの子は谷を守ったのじゃ。」

・・・

そして、

ナウシカの死を嘆き悲しむ風の谷の人々の前で、荘厳な音楽と共に、彼女の体を取り囲むように集う王蟲たちの光輝く触手によって、その体は高く天空へと引き上げられていくことになるのですが、

映画版においては、そうした王蟲たちの光輝く触手が放つ神秘的な生命力によって、ナウシカは奇跡の復活を遂げることとなり、目を覚ましたナウシカが立ち上がり、両手を大きく広げて舞い踊るようにして谷の人々のもとへと帰ってくるシーンで、

具体的には以下のような形で、冒頭で挙げた「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」というセリフが語られていくことになります。

・・・

クロトワ「なんだ、この光は?

ナウシカ「テト…よかった…王蟲…ありがとう。」

城じいたち「奇跡じゃ。奇跡じゃ。」

大ババ様「なんといういたわりと友愛じゃ。王蟲が心を開いておる。子供たちよ、わしの盲(めしい)た目の代わりによく見ておくれ。」

風の谷の少女「姫ねえさま、真っ青な異国の服を着ているの。まるで金色(きんいろ)の草原(くさはら)を歩いているみたい。」

大ババ様「おおおおお…、その者青き衣(ころも)をまといて金色(こんじき)の野に降りたつべし古き言い伝えはまことであった。」

・・・

そして、その後、

「見て。」「メーヴェだ。」「風だ。風が戻ってきた。」と喜び歓声を上げる風の谷の人々が戻ってきたナウシカのもとに集まって来て、

そうした風の谷の人々に笑顔の姿をしたナウシカが囲まれていくなかで、映画版における『風の谷のナウシカ』の物語は大団円を迎えることになるのです。

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映画版と漫画版における「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」という言葉の語り手と前後のセリフの具体的な内容の違い

それ対して、

こうした映画版の原作にあたる漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、冒頭で挙げた「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」というセリフが語られる場面は、その具体的な舞台設定の状況などからして大きく異なっていて

上記のセリフは、映画版におけるような風の谷の大ババさまの言葉としてではなく、クシャナ殿下が率いるトルメキア軍と敵対関係にあった土鬼(ドルク)に属するマニ族の僧侶の言葉として語られていくことになります。

また、漫画版においては、

ナウシカは王蟲の子を助ける際に、酸の湖の水に足を焼かれたことで、右足の踵に火傷を負ってはいるものの、決して、意識を失っているわけでもなければ、瀕死の状態というわけでもなく

ナウシカは、傷を負った王蟲の子を群れへと返して別れを告げる場面のすぐ後で、立った状態のまま森のような姿をした王蟲の触手によって抱え上げられていくことになり、

そうしたシーンの中で、具体的には以下のような形で、冒頭で挙げた「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」という言葉が語られていくことになります。

・・・

クロトワ「胞子じゃない!なんだこの光の粉は?

ナウシカ「火傷(やけど)の痛みがまるで水のようにとけていく……。ありがとう。ありがとう。みんな…。ありがとう……ありがとう……。

マニ族の僧正「いたわりと友愛がわしの胸をしめつける王蟲が心をひらいておるんじゃ…。ケチャよ。あの子が王蟲の中でどのような姿をしているのか、わしの盲(めしい)た眼のかわりに見ておくれ

ケチャ「遠くてよく見えない…青い服を着ているわ。たしかあの服はババさまの…でも…色がちがう……。王蟲の血を浴びたようにまっ青だわ。触手が風になびく金色(こんじき)の草のよう……。あの子、まるで黄昏(たそがれ)の草原を歩いているみたい……。」

僧正「その者青き衣(ころも)をまといて金色(こんじき)の野に降りたつべし

(『風の谷のナウシカ』第二巻、78~79ページ。)

・・・

そして、以上のような形で、

「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」という風の谷のナウシカにおける最も印象的なセリフが語られている両者のセリフ内容や場面設定のあり方について互いに比較していくと、

そうしたセリフが語られてる状況や、前後のセリフ内容の映画版と漫画版における具体的な違いとしては、

まず第一に、

映画版において、上記の言葉の語り手が、風の谷の長老である大ババさまとされているのに対して、

漫画版においては、土鬼(ドルク)の一部族であるマニ族の僧正の言葉として、上記のセリフが語られているという点が挙げられることになります。

そして、

映画版の『風の谷のナウシカ』において風の谷の少女が語っている

真っ青な異国の服を着ているの

 といった表現は、漫画版においては見られない、映画版にだけ存在する独特の表現であると考えられることになるのに対して、

映画版においては存在しない、漫画版においてのみ見られる独特の表現としては、僧正の従者であったマニ族の少女が語る

王蟲の血を浴びたようにまっ青
黄昏(たそがれ)の草原を歩いているみたい

といった言葉を挙げることができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の本当の意味とは?①漫画版の『風の谷のナウシカ』における二か所の記述

このシリーズの前回記事:王女ナウシカと英雄オデュッセウスの恋愛と友愛、ギリシア神話の王女ナウシカと風の谷のナウシカの関係とは?②

前回記事:「人生から別れる時にはオデュッセウスとナウシカの別れのごとくあれ」『善悪の彼岸』におけるニーチェの箴言と人生観

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