「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉が語られる『マクベス』の場面と、同じ英語の原文に対する二通りの訳し方とは?

16世紀末から17世紀初めのイギリスの詩人にして劇作家でもあるウィリアム・シェイクスピアWilliam Shakespeareによって書かれた

『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』というシェイクスピアの四大悲劇のうちの一つにも数え上げられる作品である『マクベス』(Macbethにおいては、

この物語の主人公であるマクベスを悲劇へと導く三人の魔女たちの言葉として、

「きれいは汚い、汚いはきれい」

という有名な台詞が出てきますが、

この言葉は、より正確には、物語の中のどのような文脈のなかで出てくる言葉であり、それは、具体的にどのような意味を表す言葉として捉えることができると考えられることになるのでしょうか?

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『マクベス』の第一幕第一場における三人の魔女たちの言葉

冒頭で挙げた「きれいは汚い、汚いはきれい」という台詞が出てくるのは、

『マクベス』の一番はじめの冒頭部分、第一幕の第一場であって、そこでは、マクベスを悲劇へと導く三人の魔女たちが交わす以下のような会話が語られていくなかで、物語が幕を開けていくことになります。

・・・

(雷、稲妻。三人の魔女が現れる。)

第一の魔女「いつにしよう、また三人いっしょになるのは、雷、稲妻、土砂降りに誘われて?」

第二の魔女「騒ぎが終わって、戦いが敗けて勝って、そのあとで。」

第三の魔女「それなら、日暮れまえに片付こう。」

第一の魔女「所は、どこだ?」

第二の魔女「荒れ地がいい。」

第三の魔女「そうしてマクベスに会う。」

第一の魔女「すぐ行く、老いぼれ猫め!」

第二の魔女「ひき蛙が読んでいる。」

第三の魔女「あいよ!」

三人「きれいは汚い、汚いはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり。」

(霧のなかに消える)

(シェイクスピア『マクベス』福田恆存訳、新潮文庫、1969年発行、9~10ページ。)

そして、

こうした三人の魔女たちの言葉を残して、物語の場面は、マクベス勇猛果敢な心正しき将軍としてダンカン王に仕えて奮戦するスコットランドの地へと移り変わっていくことになり、

その後、マクベスは、

「マクベスはいずれ王となる」(同書、16ページ。)

「女が産み落とした者のなかでマクベスを倒せる者はいない」(同書、79ページ。)

「バーナムの森がダンシネインの丘に攻めてくるようなことがない限りマクベスが滅びることはない」(同書、80ページ。)

といった三人の魔女たちが語る予言の言葉に心を惑わされることによって、自らの主君であるダンカン王を暗殺してスコットランド王位を我がものとし、

自分に反対する者たちをことごとく抹殺していくという冷酷で無慈悲な暴政を行っていくことによって、国王としての栄華を極めていくことになります。

そして、そののち、マクベスは、

そうした自らが行った悪事に対する報復や裏切りに遭うことによって、滅びの道へと進んでいってしまうことになるのですが、

つまり、

上記の物語冒頭の第一幕第一場の場面においては、一言でいうと、

こうしたその後の物語の流れを暗示させるような言葉として、三人の魔女たちが語る「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉が語られていると考えられることになるのです。

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同じ英語の原文に対する「きれいは汚い、汚いはきれい」と「良いことは悪いこと、悪いことは良いこと」という二通りの訳し方

ちなみに、

こうした上記に「きれいは汚い、汚いはきれい」という三人の魔女たちの言葉は、別の訳し方では、

例えば、

「良いことは悪いこと、悪いことは良いこと」(シェイクスピア『マクベス』三神勲訳、角川文庫、1968年発行、10ページ。)

 という言葉で訳されているケースもあるのですが、

こうした「きれいは汚い、汚いはきれい」あるいは「良いことは悪いこと、悪いことは良いこと」という日本語訳となっている言葉は、どちらも英語の原文においては、

Fair is foul, and foul is fair.(フェア・イズ・ファゥル、ファゥル・イズ・フェア)

と書かれている言葉に対する二通りの訳し方であると考えられることになります。

そして、まず、

上記の英語の原文において、

fair(フェア)という言葉は、現代では主に、「公平な」「公正な」といった意味を表す言葉として用いられている単語ということになりますが、それは、

古期英語においては、「美しい」「きれいな」といった意味を表す言葉としても用いられていた単語であったとも考えられることになります。

それに対して、もう一方の

foul (ファゥル)という単語についても、それは基本的には「汚い」「不潔な」といった意味を表す言葉ではあるものの、

そこから派生して、天候などが「悪い」「険悪な」といった意味で用いられることもあるというように、

こうしたfair(フェア)とfoul (ファゥル)という単語は、両方とも、単語の意味の解釈のあり方に大きな幅がある言葉であると考えられることになるので、

そうしたことから、上述したように、

“Fair is foul, and foul is fair.”という同じ英語の原文に対して、

「きれいは汚い、汚いはきれい」「良いことは悪いこと、悪いことは良いこと」という一見すると意味がだいぶ異なっているように見える二通りの訳し方が生じてしまうことになったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:「きれいは汚い、汚いはきれい」とはどういう意味か?美の概念の相対性についての示唆と人間の人生における栄華と凋落の変転

前回記事:『風の谷のナウシカ』とシェイクスピアの『マクベス』の共通点とは?光と闇、清浄と汚濁の両面をあわせ持つ存在としての生命

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