普遍的な理念の次元における国家の発展構造の象徴としての現実の諸国家における政体の例示、ヘーゲル歴史哲学の整合的解釈②

前回書いたように、ヘーゲルの歴史哲学において示されている人類の自由の拡大の歴史としての人類史の発展の構図は、

必ずしも、現実の世界における国家の進展がそのような構図に沿って実際に発展していくということを意味しているわけではなく、

それは、直接的には、「自由の意識における進歩」としての理念の次元における国家の理想的な発展のあり方を示していると考えられることになります。

それでは、そうした理念の次元における人類史の発展の構図は、個別的で具体的な存在である現実の国家においては、具体的にどのような形で反映されていくことになると考えられるのでしょうか?

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理念の次元における人類史の発展の象徴としての現実の国家

前回書いたように、現実の世界における歴史の流れにおいては、同じ一つの国家においてさえ、政治体制の変化のあり方は、

皇帝や王と呼ばれるただ一人の人間のみが自由である専制政治の段階から、すべての人間が自らの自由を自覚する民主政治の段階へと一方向的に進展し続けているわけではなく

現実の世界における一つ一つの国家は、むしろ、そうした専制政治から理想的な民主政治へと至る理念的な国家の発展の構図の各段階の間を行きつ戻りつしながら試行錯誤を経て発展していく存在であると捉えられることになります。

そして、同じ政治体制を持つ民主的な国家の内部においても、その内部には専制的で独断的な統治を行う官僚機構が存在していたり、衆愚政治へと陥ることによって、かえって実質的には人々の不自由が拡大する状況が進展してしまう場合もあるように、

現実においてそれぞれの国家がどの発展段階に位置づけられることになるのかを決定づけることは、厳密な意味においては不可能であると考えられることになります。

したがって、

ましてや、西洋の諸国東洋の諸国といった現実の世界の内の別々の国々における国家のあり方を比べて

一方の国家の方が、他方の国家のあり方よりもより発展した段階に位置する国家であるあるといった判断を下すのは到底不可能な問題であると考えられることになります。

つまり、そういう意味では、

ヘーゲルが歴史哲学講義の中で語っている

東洋ではただ一人の人間だけが自由であり、…我々ゲルマンの世界ではすべての人間がそれ自身として自由である」

という言葉は、あくまで、

そうした理念の次元における人類史の発展の構図が現実の世界において具現化されているように見える象徴の一つとして、

古代オリエント世界におけるペルシア帝国のような専制国家や、近代ヨーロッパ世界におけるて立憲君主制や共和制といった民主的な政治体制のあり方が提示されていると考えられることになるのです。

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以上のように、

ヘーゲルの歴史哲学において示されている古代オリエントにおける専制政治から、ギリシア・ローマ世界における貴族制、そして、近代ヨーロッパ世界における真の民主制の実現へと至るまでの人類の自由の拡大の歴史としての人類史の発展の構図においては、

必ずしも、現実の世界における個別的な国家のあり方として、そうした東洋における諸国家が、西洋の近代的な諸国家よりも劣った段階に位置する存在であるということが意味されているわけではなく、

そこでは、むしろ、そうした現実の具体的な国家における政体の特徴を例として挙げることによって、理念の次元における人類の自由の拡大の歴史が示されていると考えられることになります。

つまり、こうしたヘーゲルの歴史哲学において示されている古代オリエントから近代ヨーロッパへと至る人類史の発展の構図においては、、

古代オリエント世界におけるペルシア帝国のような専制国家や、近代ヨーロッパ世界における立憲君主制や共和制といった民主的な政治体制一つの象徴とすることによって、

人間の意識の内にある普遍的な理念の次元において、常に自らの自由を拡大し、より弁証法的に発展した次元へと展開していこうとする人類と国家の理念的な発展の構造が示されていると解釈することができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:理念の超越的な自己展開の力としてのヘーゲルにおける人間と国家の弁証法的発展の構造、ヘーゲル歴史哲学の整合的解釈③

前回記事:自由の意識における進歩」としての理念の次元における人類と国家の発展の構図、ヘーゲル歴史哲学の整合的な解釈①

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